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旅立ち
佐吉はあやめと表向きは商人の諜報活動の旅に出た。
旅に出てしばらくしたある日の昼間、人気のない野原を歩いていると小夜が出てきて、二人は咄嗟に身構えた。
「お久しぶりでございます。拙者は何も致しません。もう黒井家の従者ではないですから」
「そうなのか」
小夜が優しくほほえみ、佐吉は出していた刀を収めたが、あやめは信じられぬといった様子でくないを構えている。
「お役御免になりました。
それと、お屋形様は佐吉様との縁をお切りになりました」
と、小夜が静かに申し、あやめは態度を崩さないながらもくないを下ろした。
それを見て、小夜はフッと笑い、「佐吉様をよろしく頼みます。では、さらば」と、踵を返した。
「ま、待って」
あやめが呼び止め、小夜は振り返る。
「そちの踊り娘姿はとても妖艶で美しかった。我に女らしさ、くのいちを教えてくれまいか」
必死に言うあやめに、小夜はフフッと笑う。
「拙者はこの女体を武器として使っているだけです。けど、あなたはそうしなくても十分忍びをやっています。
それに、男女で行動してれば怪しまれ難い。これも十分くのいちとしての役目を果たしていますよ」
「「あ……」」
と、あやめと佐吉は互いに顔を見合った。
「それに、お二人はお似合いです。
夫婦忍びに縁遠い拙者には羨ましい限りです」
「そ、そうか……」
あやめは顔が赤くなるのを隠せない。
「もしや、佐吉様がまた城を抜け出したのは、この者のため……?」
と、小夜がにやりとし、佐吉は焦る。
「そ、そのような……」
と言いかけ、佐吉はふと気がついた。
「……小夜、我らの心をもてあそぶな」
小夜は不敵に笑うと、「人の心を動かすのも忍びの手段。よくぞお気づきになられました」と褒め、丁寧にお辞儀し、去っていった。
「なぁ佐吉、兄者は我らを夫婦のように見せ忍びをしやすくする為に、我を行かせたのだろうか」
小夜の姿が見えなくなると、あやめが佐吉に問う。
「まあ、そうかもな。
我らなら夫婦らしく見えるだろうと…」
そう答えた佐吉の脳裏に、ある考えが出てきて、それをあやめに言うのに少しためらった。
「……なぁあやめ、いっそのこと本当の夫婦になるのはどうだ」
「え?」
「夫婦らしくではなく、本当の夫婦になってはどうだ」
佐吉は真剣な眼差しで、それを見たあやめが頷く。
「うん。そうだな。それも、悪くないかもな。これで私も女に、くのいちになれるかもしれぬ。
女にしてくれ、佐吉!」
「あやめらしいな」と佐吉は笑い、「だが、断る。俺はくのいちでないあやめの忍びが好きだからな」と、にやりとした。
顔が赤くなったあやめは、急に走りだし――、少し先まで行って止まり、振り返った。
「佐吉! 行くぞ!
ここから夫婦旅の出立だ!」
「おー!」
佐吉は拳を突き上げ、あやめのところに飛んでいく。
佐吉が近づくとあやめは小走りになり、二人は微妙な距離を開けて歩き始め、藪の中へと姿を消した。
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