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腹がすいて忍びとなる
雨足はポタポタといつの間にか穏やかになっていた。
佐吉はとりあえず、再び歩き出した。
雨が穏やかになったなら、人が出てきて何か売れるかもしれないと。
だが、そう歩いていると、町外れまで来てしまい、畑に囲まれた屋敷が一つあるだけになった。その先は、森が広がっている。
「はぁぁぁ、ん?」
大きなため息を吐いたた佐吉の目に、「奉公人募集」という文字が飛びこんだ。
(ここは、菓子屋か……。奉公すれば衣食住には困らないよな。
自由は無くなるけど……、まぁ、背に腹は変えられぬか)
佐吉は店に入った。
「いらっしゃいまし」
と、出てきた人はなんと、先程のおなご。
お互い目が合うと、佐吉がアッと言う間もなく、おなごは奥に引っこんでしまった。
代わりに若旦那らしき人が出てきたので、佐吉はなんとか経緯を話し、奥に入れてもらえた。
「そうか、もうあやめと知り合いか……。
私はここの頭であやめの兄、平蔵です。君はここで働きたいと?」
「は、はい。あ、俺は佐吉と申します。なんでもしますので、どうかお願いします」
佐吉は通された奥の広い座敷で平蔵と二人、向かい合って座っていた。
平蔵は女のように綺麗な顔立ちをしていて華奢である。
「そっか。なんでもやる、か」
平蔵が爽やかすぎる笑顔を向けてきて、佐吉は嫌な汗を流がす。
その刹那――、平蔵が刀を振るい、佐吉はとっさに刀で応じる。
「君、なんでもできそうだね。どこから来たの? 伊賀? 甲賀?」
「い……、え? いや、どこって、俺は、方々歩き回って商いしてるから……」
平蔵は見た目に反して刀で押す力が強く、佐吉は一生懸命耐えながら答える。
伊賀や甲賀という地名は、旅商人をしてきた佐吉は、知っている。忍者の里だ。
自分は疑われていると、佐吉にはわかったが、本当の出身地は答えるのをためらい――、余計怪しまれるのであった……。
「歩き回って何か詮索してたのかな?」
「そ、そんなことは……」
平蔵の力に押され、刀はすでに喉元に――。
「兄者、こやつは忍びでは無いと思う。
先程浪人に囲まれてしょんべん漏らしそうだった」
おなご、あやめが襖を少しだけ開けてこっちを見ていた。
「漏らすか! 某はもうガキじゃない。十六だ!」
佐吉は必死に刀を押さえながら、必死に反論した。
「それに、あんたの方こそ、毛虫で――」
佐吉が言いきる前にあやめの手から何か鋭いものが投げ込まれ――、佐吉は思わず目を閉じる。
次の瞬間――、平蔵が佐吉から刀を退けて、飛んできたものを弾いて落とし、佐吉は目を開けた。
「確かに、この状況をなんとかできなさそうだったし、飛び道具も使わないようだし、違うか。悪かったね」
そう言って平蔵が手を伸ばしてきたので、佐吉は「いえ」と、平蔵の手をつかんで体を起こした。
「ま、これで君の強さがわかったわけだし、ここで働いてよ」
「あ、ありがとうございます」
「仕事内容は、忍び。よろしくね」
えっ? と佐吉はのみ込めずにたじろいだ。
そんな佐吉に、平蔵が不敵な笑みを向ける。
「今の、見たでしょ。
ウチの本業は忍び。主に代田様からの依頼でやってるんだ。菓子屋は情報収集のためにやっててね。
忍びは今のご時世人手不足で、猫の手も借りたいくらいなんだよね」
「そ、そうだったんですか」
「そう。ウチの秘密を知ったからには、今さらただでは帰さないよ」
そう言うや否や、平蔵の眼光が光り――、再び佐吉の喉元に刀の切先が突き付けられた。
「や、やります! 忍び、やります!」
佐吉はそう叫び、平蔵はにこやかに刀を鞘に収める。
「ならば、君も死なないように気をつけて頑張ってね。奉公忍がどんどんいなくなって大変だからさ」
と平蔵に笑顔で言われた佐吉は、「はい」と顔をひきつらせて答えざるをえない。
死……。
そう、この世は死が日常。
けど、自ら死闘の世界に飛びのむのは――、自分が死ぬだけでなく、簡単に人を死なせるのも佐吉は嫌だった。
でも、今は腹が空いていた。行き倒れも嫌だった。
それに、命に背いては、この屋敷からは生きて出れなさそうである。
「あのぅ……。
死なないように頑張りますが、人を殺めない役目をお願いできますか?
俺は、人を殺めぬのを信条としてまして……」
「ふーん。実力ありそうなのに、残念だね。
じゃぁ、とりあえず、弟子をやってもらおうか……」
そう言った平蔵はしばし思考を巡らすと、いい笑みを浮かべた。
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