弟子

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弟子

 しばし考えこんでいた平蔵がにやりとすると、口を開けた。 「それじゃぁ、佐吉は今日からあやめの弟子ね」 「「ええ?」」  佐吉とあやめは、互いに声をあげ顔を見る。  佐吉は、またやられそうな気がして、思わず目を伏せた。 「兄者、我には弟子などいらぬ!」 「頭の命が聞けぬなら、出てってもらうけど?」  平蔵の目がいやしく細まり、あやめはくっと歯ぎしりすると、歩き出した。 「ついてまいれ」  あやめはそう言うと座敷を出ていき、佐吉は慌てて追いかけていった。 「これで、女らしさに目覚めてくれればよいのだが……」  平蔵はくっくと、独り静かに笑う。 「(わし)が女の快感を教えてやろうか」 「十郎いたのか。お願いだから、あやめに無茶なまねはするなよ。大事な妹なんだから」  ふらりと現れたハゲ頭の忍者に驚くこともなく、平蔵はため息をつく。 「大事な妹か。大事にするのもいいが、早くくのいち(女の仕事)ができるようになってもらいたいものだね」 「だから、異性の弟子をつけたのだけど……」 「儂は甘いと思うぞ。頭は妹のこととなると、あめぇな」  フフと十郎は笑うと、女にでも会ってくるかとつぶやき、またふらりと出ていった。 「は、速すぎる……」  一方、あやめについていった佐吉は、ついていけてなかった。  屋敷を出たとたん、あやめが無言で走りだしたので、ついていこうと佐吉も走ったのだが――、あやめの姿がどんどん遠ざかっていく。  そして、そんな毎日を繰り返すことになるのだった。  一月(ひとつき)二月(ふたつき)過ぎても、弟子になり無言のあやめについていく日々は続いていた。  だが、佐吉は知恵を巡らし、あやめの行動を先回りできるようになってきていた。  今朝もあやめが無言で外に出ようとしていたので、佐吉は先に行って戸を開けた。  のだが、隠し扉の方へと行ってしまい、出てってしまった……。  なんとか追いかけていくと、屋根の上を伝い始めたので、佐吉も真似して追ってみる。  が、一つ目の屋根を跳び移ろうとした時に足を滑らせ――、屋根の縁に手を掛けてなんとか残り、体を持ち上げて屋根の上に戻った。  心配してるのか、あやめが立ち止まって佐吉の方を見ていたが、大丈夫だとわかるとまた跳び移り始め、佐吉は息も絶え絶えについく。 (こんなことしてたら、命いくつあっても足らないよ。空腹と引き換えに忍びなんてやらなきゃよかった……)  そう後悔するのもつかの間、佐吉はまた足を滑らせ、今度は落ちて――、運良く柔らかい草地の上に乗り、天を仰いだのだった。  あやめが先に忍者屋敷に戻ると、奉公忍の十郎が縁側で酒を飲みながら座っていた。  十郎はあやめが物心ついたころには居すわっていたじじいで、まともに仕事をしているのを見たことがない。 「外に出て働け」  あやめがそう言うと、十郎はにやにやして赤い顔を向けてきた。 「外には出た……ヒック。遊郭に行ってきたぞ」 「また女か」  あやめは飽きれながらそう返す。 「おまえもあやつらと同じ女なのにな……ヒック。  いつになったら、あやつらみたく女らしくなるんだ?」 「気持ち悪いじじいめ」  嫌な目で見てくるじじいの近くにいるのが嫌になったあやめは、また外へと出る。  そこには、つきまとってくる佐吉が息を切らせていた。  それを冷ややかに見て、あやめはまた走り始めた。 (いい加減諦めろよ。我に弟子はいらぬ)  森へと突き進むが、後ろには佐吉がついてくる。 (しつこいやつめ)  あやめは渓流まで来ると、軽やかに石の上を跳んで川を渡っていく。 「待って……」  佐吉も頑張って石の上を行くが、急ごうとすると滑り、何度か石の上にへばりついて進む。  が――、ついに滑った瞬間に後頭部から川に落ちた。  水がいっきに口に入り、佐吉は慌てた。川は思ったよりも深く速い。  必死でもがくと、腕をつかまれ、引っ張り上げられた……。  息が落ち着き、視界が良好になると、あやめがいた。 「助けくれたのか。ありがとう」  佐吉がにこっと笑い、あやめはその笑顔にびくっとして目を逸らす。 「弟子に何かあったら私の責任になるからな。けど、こんなんでくたばるなら忍びは務まらぬ。忍びの弟子なんか辞めちまえ。  弟子の面倒見るなんて面倒だから次は助けぬからな」  そう断言して、あやめは佐吉を置きざりにして、元来た道を戻っていく。  佐吉はまだはっきりしない頭のままあやめを見送り、のんびりと川のせせらぎに聞き入った。
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