イモの皮むき

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イモの皮むき

 はじまりの街『ヴィエール』。  ここから一時間ほど離れた帝都とは打って変わって静かな時が流れるこの街が『はじまり』とされているのは、訳がある。  それは帝都にあるギルドでクエストを受注した冒険者が、遥かジョレット大草原へ旅立つのに、必ず立ち寄る街だからだ。  そのヴィエールの街の中でも裏路地にひっそりたたずむ一件のカレー食堂がある。    『ポム』という名で、この地方では『大地』を意味している。  だが店構えは大地というよりは大樹。味のある古い木造の店舗は、壁の半分を深緑のアイビーで覆われ、まるで太古の昔から存在しているかのような重々しいたたずまい。  だがひとたび扉を開ければ、そこから漂う香りにきっと誰もが胸躍るはずだ。  ただでさえ食欲をそそる炒めたニンニクの香りをベースに、様々な香辛料が「わたしが一番よ!」と主張しあいながら、店を訪れた者の鼻の中へ競いながら入っていく。  それらがいつしかハーモニーとなって脳を刺激すれば、みな自然と頬の筋肉が緩んでしまうだろう。    かく言う私、エミリーヌもまた同じだった。     「おっ? そこに突っ立っているのは、新しいバイトさんかい?」  太くて低い声が、私を幸せな幻想世界から現実世界へと引き戻す。  私は慌てて半開きになった口を引き締めると、声をかけてきた相手に深々とお辞儀をした。     「はいっ! エミリーヌと申します! 今日からお世話になります! よろしくお願いします!」 「そうかい、そうかい。こいつは元気で可愛らしいお嬢さんで、嬉しいや。インハンスもたまにはいい仕事しやがる」 「あ、あのー……」 「おっとごめんよ。俺はオンハルト。ここのオーナーシェフをしているものさ」  粋な職人気質のわりには、優しい口調に私は引き込まれるようにしてオンハルトさんの顔を見た。  角ばった四角い顔には余計なぜい肉はない。その代わりにごまのような無精ひげ。ところどころ白いものが混じっているのは髭だけではなく、短く刈り上げられた髪も同じだ。  笑顔が良く似合う優しい顔立ちの壮年シェフ。  彼がここのオーナー、オンハルトさん。  実はオンハルトさんはその昔、腕の立つ冒険者だったらしく、ドラゴンやキメラといった大型モンスターとも対等に渡り合っていたそうだ。  確かに筋肉質のがたいを見れば、そう見えなくもないが、白いエプロンとハットを身につけている様子からは、あまり想像ができない。     「さあ、さっそく仕込みを手伝ってもらえないか?」 「あっ! はい!」  私はママからもらった新品のエプロンの紐をすばやく頭から通すと、オンハルトさんのいるキッチンカウンターの中へと入っていった。     「エミリーヌはイモの皮むきはしたことあるかい?」 「はいっ! ママに……母のお手伝いで、何度か」 「そうかい。なら、それからお願いできるかい?」 「はいっ!」  でんとテーブルに置かれたイモの山。  この小さな食堂に、こんなにイモが必要なほどにお客さんが来るのかしら?  もちろんそんな野暮なことは口に出せず、私はそれを一つ手にとった。    一方のオンハルトさんは、すでに仕込みを終えたカレーの鍋をゆっくりとかき回しながら、私の手元を見ている。  私は少しだけ緊張しながら、ピーラーで皮をむき始める。  するとオンハルトさんが、穏やかな口調で意外なことを言った。 「うむ、エミリーヌの母ちゃんは、料理の腕前がいいんだな。それにすごくお前さんを愛している」 「えっ?」  思わず目を丸くすると、オンハルトさんは続けた。     「たとえ小さな芽でも丁寧に取って、皮を残さず綺麗にむく。一度や二度だけ言いつけただけじゃ、そこまで綺麗にイモはむけない。ずっとお前さんを見守り、何度も優しく教えてくれた証拠さ。料理も人も愛してやれば、必ずどこかでその愛は形となって現れるものだと思うんだよ」  オンハルトさんはそこまで言うと、後は黙ってカレーの鍋を大きな木のへらで回す。  その手つきは、まるで我が子を愛でる母親のようだ。  私は幸せな気分になって、再びイモの皮むきを始めた。  一つ一つに愛情を込めて――
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