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その後は何事もなく、時間だけが過ぎていき、朝を迎えた。
「おはようございます」
朝8時。樹原くんが出社した。
「おはよう。今日も、いい梅雨日和だね」
ほぼ徹夜。寝不足わけのわからないことを言っているぼくに、樹原くんはお茶ではなく、コーヒーを出してくれた。
「所長、もしこの事件が解決できなかったら、家賃を払うんですか?」
「さすがに仕事を完遂できなくて、家賃をタダにしてもらうわけにはねえ」
それを考えると、いつものコーヒーが余計に苦く感じる。
「生活とか、どうするんです?」
「……職を変えるかアルバイトでもするか、かなあ」
「当面の家賃や生活費でしたら、経費として、私が計上しますけど」
「おいおい、それじゃあまるで、ぼくが樹原くんに養ってもらっているヒモじゃないか」
困った顔をしてはみせたが、いやまてよ、それはそれで悪くない?
不純な考えが、少しだけ頭をよぎる。いや本当に、少しだけ。ちょっとだよちょっと。
「働かずに女性に養ってもらう男性のことを、『ヒモ』と言いますが、ヒモって、簡単に切れるんですよ」
「働かざる者、食うべからずだねえ!」
キリッ。
そんないつもの日常に、珍しく新妻探偵事務所の扉が開いた。こらっ! 珍しいとはなんだっ。
「いらっしゃいませ」
樹原くんが対応に当たった。
ぼくは一瞬、眉をひそめたね。客人の風貌だ。20前半の若い男で、身長は高くやせ型。整った髪とメガネは、いいところのおぼっちゃまを連想させる。
「新妻探偵事務所は、ここですか?」
にこっ。というより、へらっ。とした感じのやさ男だ。
おっといけない。お客様は神様だ。
「ようこそいらっしゃいました。所長の新妻です」
「はじめまして。前野良輝といいます」
右手を差し出し、握手を交わす。背は180くらい? ぼくと目線が一緒だ。 気のせいか男は、じっと、ぼくを見つめている。
樹原くんも、じっとぼくを見つめている。なんだろう? 落ち着かないな。
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