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桃side
竹刀のぶつかり合う音が頭の中に響いている。私は、その音だけに集中出来るように、ただひたすらにストップウォッチを見つめている。
後10秒———5、4、3、2、1。
ピピーッ。
「終了です」
ホイッスルを鳴らすと、私を包んでいた音が種類を変えた。
あぁ、疲れた。そう言って座り込んだ部員のみんなにタオルや水筒を配りながら、私の目は無意識に彼女の姿を追ってしまう。
沖田先輩を「奏士」と呼び捨てにしている、あの先輩だ。
剣道部には坂本先輩や高杉先輩をはじめとする、人気の部員が沢山いる。
それぞれにファンクラブの様なものがあって、ファンの女の子達———たまには、熱狂的な男の子のファンもいるみたい———は、きちんとルールを守って応援してくれている。
見学者が大勢いても、稽古に混乱が起きないのはそのお陰。
そんなわけで、部活中に見学者がいることは珍しくないことだ。
だけど、彼女は他のファンの子達とは何かが違う。
何が? って聞かれたら、分からないって答えるしかないのだけれど……。
彼女があそこに座って誰かを見ているだけで、胸の奥がモヤモヤと騒ついてしまう。
「桃ちゃん。僕にもタオルちょうだい」
背後から顔を覗かせた沖田先輩に、私は無言でタオルを渡すと、急ぎ足で他の部員の元へと向かう。
忙しいフリをしているだけで、本当のところは少しも忙しくなんてない。これは、ただのポーズ。
どうしてこんな態度を取ってしまうのか。理由はちゃんと分かっているつもり。
だから、沖田先輩が少しも悪くないことも、私がとっている態度がとても失礼なことも、よく分かってる。
でも……こんな気持ちじゃ、普通にしたいのに出来ない。沖田先輩の顔もちゃんと見られないよ。
「なぁ、桃。あの人って誰かのファン? 」
タオルを受け取った一樹君が、彼女のことを指差しながら首を傾げている。
「どうかな。あの人は沖田先輩と同じクラスの先輩だよ……名前は知らない」
「へぇー。ちょっと見た目キツそうだけど美人だよな」
確かにあの人は美人だ。美羽ちゃんみたいに身長も高くてスラっとしてて……いつまでも小学生みたいな私とは大違い。
私だって好きで身長が低いわけじゃない。出来ることなら、もっと大きくなりたい。
沖田先輩のことも、さらっと呼び捨て出来るようになりたい。
でも、無理。私には出来ない。
「いくら綺麗な人だからって、あんまり見惚れてたら美羽ちゃんが嫌な気持ちになっちゃうよ? 」
「心配すんなって。俺たちラブラブだから、こんなことじゃ喧嘩になんてならないからさ」
一樹君が、少し離れたところにいる美羽ちゃんに手を振ると、美羽ちゃんも小さく手を振り返した。
そうだった。この2人、すっごくラブラブなんだよね。心配して損した。
私は一樹君に背を向けて、土方先生の隣の椅子に座る。ストップウォッチのボタンを押して羅列した数字をリセットする。
はぁ……。今日という日をリセットしたい。そしたら、このモヤモヤした気持ちも無かったことになって、いつもみたいに沖田先輩と笑い合えるのに……。
そんな出来もしないことを考えながら、私はひたすらにボタンを押し続けたのだった。
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