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綾は去年担任を持ったクラスの生徒だった。
俺は担任で、綾は生徒。それ以上でもそれ以下でもなかった。最初は……。
そのなんの変哲も無い関係が変化したのはいつだったのか——俺にとって綾は、いつの間にか特別な存在になっていた。
「あぁ、いい天気。こんな日はどこかに行きたくなっちゃうよね」
綾がそう呟いた時——俺は「海が見たいな」そう答えた。
その言葉には、お前と一緒に。という意味が込められていた。
俺は綾と2人で海が見たかった。だから、いつか連れて行ってくれる? という問いかけに、もちろんだと答えたんだ。
少しも嘘の混じらない俺の素直な気持ちだった。
「先生のことが好き。私のこと生徒としてじゃなくて、井上 綾奈として見てほしいんだ」
自分が綾にとって特別な存在のだと知った時——俺は急に怖くなった。
どうあがいても、俺は教師で、綾は生徒だ。
世間体? そんなものどうでも良い。
教師失格? 全くその通りだ。
一生徒である綾に特別な好意を持ってしまったのは俺の落ち度だ。
綾は少しも悪くない。
世間からどれだけ避難されようと、綾への想いは消えることなどないだろう。
けれど、この想いのせいで綾が肩身の狭い思いをするのは不本意だ。
決して綾を苦しめたい訳じゃない。
俺は怖かった。純粋な綾が傷ついてしまうことが、ただただ怖かったんだ。
「悪いな。俺にとってお前は可愛い教え子だ。それ以上の関係にはなれない」
卒業したら必ず迎えに行く。そんな格好の良い言葉は言えなかった。
綾には明るい未来が待っている。そこで沢山の人と出逢うだろう。きっと素敵な出会いが綾を待っている。
こんなリスクだらけの俺をわざわざ選ぶ必要などありはしないんだ。
俺のことなど1日も早く忘れてくれ。俺も忘れるから……。
——そう思っていた。
それなのに、久し振りに2人きりになって綾の手に触れた時——今まで必至に抑え込んでいた想いが一気に決壊を起こした。
もう、どこにも行かないでくれ。傍にいてくれ。そんなことを考えてしまった。
俺は未練たらしくて、男らしくもない最低な奴だ。
腕を振り払われ、大っ嫌いだと言われて当然なんだ。
いい大人がガキくさいことをして、恥ずかしいにも程がある。穴があったら入りたいとはこのことだ。
格好いい兄貴? 笑わせるぜ。
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