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「ちょっと、いつまで僕の桃ちゃんと話してるわけ? 早く稽古に戻りなよ」
不意に聞こえた不機嫌な声の主は、期待を裏切ることなく沖田だった。
「俺は先生と話していただけです。誤解から生じた怒りを理不尽に俺に向けるのはやめてください」
「いや、話してたよね。桃ちゃんとも話してたよね。なんなら、頭を撫でてたところもちゃーんと見てたけど? 」
2人の間に割り込むように沖田が岡田にずいと身体を寄せた。
かと思えば、岡田はそんな沖田を冷めた瞳で見下ろしている。
お、ケンカか? 若いっていいな。
「そうでしたっけ? 先輩の見間違いじゃないですか? な、桃」
「え? あ、うん。そうかも。あれ、ん? 」
さっきの調子で、つい岡田の意見に同調してしまった桃の顔からすっと血の気が引いていく。
岡田が桃の頭を撫でていたのは、沖田の見間違いでも勘違いでもない。紛れも無い事実だ。
つまり、桃は沖田に嘘をついたことになる。その罪悪感に苛まれて自己嫌悪に陥っているらしい。
あわあわと慌てふためいている桃を見て岡田は楽しそうに笑い。それに相反するように、沖田の眉間には深いシワが刻まれている。
「もう、桃ちゃんはどっちの味方なの? 」
責めるような口調の沖田に、桃がぎゅっと両掌を握りしめる。
「そ……それは……どっちもですっ‼︎ どっちかなんて選べません……」
ダメですか? と言って、沖田を見上げている桃の瞳は微かに潤んでいる。
そんな瞳に見つめられて、沖田がダメだと言うわけがない。
「ううん。ダメじゃないよ。桃ちゃんがそうしたいなら、それでいいよっ」
「本当ですか? 良かった……やっぱり沖田先輩は優しいですね♡」
「僕が優しくするのは桃ちゃんだけだよ♡」
おいおい……あっという間にすっかり2人だけの世界を創り上げたな。
岡田はバカバカしいとでも言いたげに肩を竦ませている。 俺も激しく同意だ。
「はぁ……そろそろ稽古を始めるか。後半も気を引き締めていくぞ」
1番、気を引き締めなきゃいけないのは俺だけどな……。本当にすいません。
「奏士。お前1年の相手しろ」
俺の言葉に、何を思ったのか沖田が桃をぎゅっと抱きしめた。
「桃ちゃん。僕、稽古頑張るから応援してね」
「はい。精一杯応援しますっ」
「ありがとう。桃ちゃん大好きだよ」
「私も、です」
おいおいおい。部活中に何やってるんだよ。見てるこっちが恥ずかしいだろうが‼︎
ギャラリーも、キャー♡ なんて黄色い声をあげるんじゃねぇ‼︎
「おらおら、さっさと離れろ。さっさと稽古に戻れ」
沖田の首元を掴んで道場の方へと放り投げる。全く……あれが次期部長だなんて先が思いやられるな。
桃も、いつまでも頬をピンク色に染めてんじゃねぇ。
うちの部員はどうして、こう、ちゃらんぽらんな奴ばっかりなんだ。
「あーやって、自分の感情に身を任せて愛情表現が出来るって羨ましいですよね」
いつの間にか隣に立っていた岡田が、感情の読めない顔で沖田を見ている。
お? さっきまでの威勢はどうしたんだ?
「そうか? あ、もしかして……お前にもあんな風に愛情表現をしたい相手がいるのか? 」
「誰だよ」と言いかけたところで、まさか綾のことか? と動揺している自分に気がついた。
なんだか思っていたより重症だな……。
「いると言えばいるし、いないと言えばいないですね」
「なんだよそれ。相変わらずややこしい奴だな」
「そうですか? 俺は、求められていない愛情表現は、かえって彼女の負担になると思うんです。だから、自分本位な愛情表現はしません。
そのかわり、彼女が求める愛情表現なら全力でします。それが俺の愛のカタチです」
岡田はそう言うと稽古に戻っていった。なんだか自分に言い聞かせている様な物言いに、あいつにも色々あるんだろうな。そう思った。
妙に凛々しい後ろ姿を見送りながら「頑張れよ。いつか報われる日が来るはずだ」なんて、ありきたりな言葉を思い浮かべていた。
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