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相変わらず脚立の上に跨って、手際よく片付けを終わらせていく陸の足元の床に座り込んで、少しばかり乱暴にファイルを積み重ねていく。
陸はいつも優しくて、頼り甲斐があって、一緒にいると凄く安心出来る存在だったのに……こんなに意地悪だなんて思いもしなかった。
陸のこんな一面に気づけなかったのも、私が鈍感なせい?
もうっ。どうやったら陸みたいに鋭くなれるの? なんだか悔しいっ。
あ、今日の帰り道——神様にお願いしてみよう。うんうん。それがいいよね。
綺麗に拭きあげた棚の上に、不貞腐れながらファイルを並べていると、脚立から降りてきた陸が私の隣にしゃがみ込んだ。
「何か用ですか? 」
「ははっ。そんなに怒るなよ」
陸が私の左の頬を摘むと、堪え切れないとでも言うように笑い声をこぼした。
なんなの、さっきから。なんにも面白くないし。なんにも笑うところなんてないんだからっ。
「怒ってません」
「怒ってるだろ」
「怒ってないってば」
「本当か? 」
「怒ってないって言ってるでしょ? もう、離してっ」
頬をつまんでいる陸の手を振り払おうとした時——逆にその手を陸に掴まれた。
陸の手は大きくて、温かくて——やっぱり、陸って男なんだ。なんて、当たり前のことを思った。
陸の瞳は真っ直ぐに私を捉えて離さない。なにこれ……吸い込まれそう……。
「別に……俺はお前に意地悪してるわけじゃないんだ。だけど、俺の口から答えは教えてやれない。俺は……お前とこうして当たり前のように話せなくなるのは嫌なんだ。
今のままだったら、誰も傷つかない。誰も傷つけない。何も失わない。だから、俺は今のままの関係が理想なんだって思ってる。
無理をしているわけでも、強がっているわけでもない。俺はお前が笑っていてくれればそれでいいんだ。それ以上は何も望まない。
でも、傷ついた時。泣きたい時。お前が望むなら、俺はいつだってお前の傍にいる。それだけは忘れないでほしいんだ。
今の俺に出来ることは、それくらいだからな……。
だから、どうしても答えが知りたいと言うのなら、お前が自分で導き出せ。そして、答えが見つかった時、そこからどうするかはお前が決めればいい。
俺と距離を置きたいのならそれで構わない」
陸は今まで見たことのない真剣な表情で「俺はお前の判断に任せる」そう言った。
なにそれ……。ますます意味が分からないよ……。
私がさっきの質問の答えを見つけたら、こんな風に陸と話せなくなるの?
そんなの嫌だよ。陸は私の大切な友達なのに……失うなんて耐えられないよ。
そもそも、私が陸と距離を置くことを選ぶわけがないじゃない。
陸を失うくらいなら鈍感でいい。
そんな答えなんて知りたくない。
「……やだ。私だって、陸とこうして話せなくなるなんてやだよ。ずっと友達だよって約束したじゃない……。
……もうやめる。答えなんて知りたくない。陸を失いたくないよ……」
陸を失うと決まった訳じゃないのに、想像しただけで心が苦しくて気がつけば涙が溢れていた。
——どうして陸はそんなこと言うの?
私の視界は涙で歪んでしまっているけれど、真っ直ぐに陸をことだけを見つめ続ける。
陸はそんな私をただ黙って見下ろしていた。その表情はとても穏やかで、泣きじゃくっている私とは正反対だった。
陸はいつだってそうだ。鈍感で冴えない私を、こうやって優しく包み込んでくれる。
陸を失うなんて考えられないよ……。
「お前はそのままで良いって言っただろ?
俺は今のところ現状に不満は無いし。お前が鈍感なのは、ある意味では長所だと思うし……俺にとっては好都合だとも思ってる」
「……好都合? 」
「あぁ。最高に好都合だ。だから、お前は余計なことなんて考えないで、大好きな沖田先輩のことだけを見ていればいいんだよ。分かったら、もう泣くな」
陸は私の頭を撫でながら「変なこと言って悪かったな」と謝った。
でも、どういう訳か陸は嬉しそうに笑っている。なんで笑ってるの? なんだか、心の中がモヤっとする。
ずっと友達だよって約束したのに、もう話せなくなる。なんて急に言われたら、頭の中が混乱しちゃうに決まってるじゃない。
——知らないって怖い。
だけど、きっと知らない方が良いことも世の中にはあるんだと思う。
知らないからこそ円滑に物事が進んでいくこともあるだろうし……知らないからこそ幸せなこともあるんだろう。
私は鈍感だから、色々なことに気づかないけど——陸は鋭いから、知りたくないことにも気づいてしまって、そのことで傷ついたりもしているのかもしれない。
私は陸に頼ってばかりだ。
これからは、少しでも陸の力になれるように頑張ろう。
私は手の甲で涙を拭ってから陸の顔を見上げる。
その表情からは、相変わらず何を考えてるのかが読み取れない。
陸も、高杉先輩まで——とは言わないけど、もう少し喜怒哀楽がはっきりしていたら分かりやすいのにな。
「ねぇ、陸」
「なんだ」
「私いっつも陸に助けてもらってるから、陸のことも助けてあげたいって思ってるんだ。
でも、私って鈍感だから陸が困ってても気付かない時の方が多いと思う。
だからね、今度からはちゃんと言ってね。そしたら助けるから」
私の精一杯の誠意を伝えた。
それなのに、陸の返事は「俺、あんまり困ることない」の一言だった。
まぁ、そうでしょうね。なんでも器用にこなしちゃうし、私と違って鋭いし……なんだろ。言ってて悲しくなってきた。
「……ううっ。でも、もしかしたら、これから先、困ることがあるかもしれないじゃない ……うぅ……」
「分かった、分かった。ちゃんと言うから、もう泣くなよ」
「陸の恋も、応援するから、ね……うぅっ」
「その話はもう忘れろよ」
「忘れないっ、うっ」
今日はどういう訳か涙腺が壊れてるみたいだ。すぐ涙が出てきちゃうよ。困ったな。
「桃は泣き虫なんだな」
「泣き虫じゃない。今日は変なの……陸が、そうだよ、陸が変なこと言うから、こんなに涙が出てきちゃうのっ」
「そんなこと言ったら、俺が桃のこと泣かせたみたいだろ。心外だな」
「だって、本当のことじゃない」
「そうだっけ。まぁ、年に1日くらい、俺のせいで桃が泣くっていうのも悪くないかもな」
陸が私の頬を伝う涙を指で拭いながら「なぁ、桃」そう私の名前を呼んだ時——資料室のドアがガラガラと激しい音を立てながら勢いよく開いた。
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