メヒシバが描く分布曲線上の私たち

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 ”あの子”は私の高校時代の友人であった。彼女は”ゲーテ”と呼ばれていた。  もちろんそれはあだ名であり、彼女の本名は別にある。彼女は気難しくて、しばしば浮世離れした行動を見せた。例えば流れる雲や、花を何時間も眺めていたり、悲しい出来事にも普通(ひと)の数倍心を痛めた。ただでさえ口数が少ない彼女が時々紡ぐ言葉は、まるで流麗な詩を思わせた。そういう背景があって、かの著名な詩人を由来とし、いつしか彼女のあだ名は”ゲーテ”となった。彼女がそれについてどう思っていたのかを、私は最後まで知ることはできなかった。しかし私個人としては、そのあだ名は相応しいと感じていたし、からかいの目的で発する者もあったが、私は尊敬の意を込め使っていた。その意を汲み取ってか、少なくとも私がそう呼ぶ時は、ゲーテも口角をほんのわずかにあげて応えてくれた。  ゲーテはおよそ精神的に少数派であった。つまり繊細で、常に何かを憂いて、世の中に生き辛さを抱えていた。そんな彼女は私のメヒシバのレポートを見て、「ああ、あなたのは本物」そう言ったのだ。ゲーテはずるをした者とそうでない者との違いを、正しく見極めることができた。そしてこうも付け加えた。 「私はね、きっとここに存在しているわ」  形の良い人差し指が示したのは、正規分布の端っこだった。彼女は自分が多数派でないことを、そしてそこには決して混ざれぬ定めを、しかと自覚していた。  現代(いま)であれば、彼女の支えとなるものが何かしら存在したかもしれない。それは例えば、然るべき支援団体だとか、社会の理解だとか、同じような人のコミュニティだとか、そういうものだ。しかし時代が彼女に追いつく前に、彼女はこの世からいなくなってしまった。  ゲーテのお通夜で彼女の母親にした質問を、私は今でも覚えている。 「ねえ、おば様。ゲーテは、自殺してしまったの?」  今思うとその質問はひどく不躾で、配慮を欠いていた。ゲーテの母親も一瞬顔をこわばらせて、しかし次には笑っているのか泣いているのか、よく分からぬ表情を浮かべ、こう言った。 「何かの病気だったのよ」  この答えが真実かどうか、私は未だに分からない。きっと永遠に謎のままだ。ゲーテが次第に衰弱してゆく様子は傍から見ていても分かったが、彼女は最後まで然るべき病院に通うだとか、あるいは入院をするだとか、適切な治療を受ける機会を得なかった。  当時、何故このような不躾な質問を遺族へ向けたかといったら、それは決して私の精神の未熟さゆえだけではない。ある種の怒りだった。ゲーテの死因に何か薄布のようなものが被せられ、ひどくあいまいなものにされようとしていること――それは何につけても、物事を白黒はっきりさせることを尊んだ彼女の生き方を、冒涜(ぼうとく)する行為に思えたからだ。
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