親の思い。

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親の思い。

彩乃は、野崎に連絡を取っていた。 「珍しいじゃないか。なんだ。」 「DNA受けるよ。」 「お、そうか。なんだ、どうした?」 「どうでもいいだろ。」 「すぐ、橋本に連絡するよ。病院来るか。」 「それは、ちょっと…結果出てからにする。あの…意識が戻ったって聞いたけど。」 「やっぱり、気になったか。」 「別に。」 「ほんと素直じゃないな。」 「じゃ、いいわもう。」 「あ、ちょっと待って。悪かった。話すよ。女性は、何も思い出せないって言ってる。医者は、故意に思い出せないふりをしていると言うがな。」 「もし、その人が私の母親だったら、どうなる?」 「火事で亡くなったのは、智子さんってことになるな。」 「でも、家の中には、あの母がいたはずなのに。私、この目で…。もう切るわ。」 「あ、これで最後、ちょっと待って。洋子さんが、彩乃と話したいって。明日、こっちへくるんだけど。」 「洋子おばさんが?それも、結果出てから、考える。けど、明日、検査の後にすぐ能登行くけど。」 「能登?なんでだ?」 「話さない。話しても、理解できないと思うし。」 「ま、それはいいや。また今度だな。じゃ、気を付けて。」      斎藤嵐と母の真美は能登へ向かっていた。    金沢までの新幹線の中で、久しぶりの旅行気分に、親子の会話が弾んでいた。 「嵐、誰か一緒に来るって言ってなかった?」 「急用が出来たって。明日来るよ。」    嵐はスナック菓子の袋を開けながらそう言った。 「そうなの、もしかして彼女?」    母が嵐のスナック菓子に手を伸ばしてきた。 「えぇ、そんなに取ってくの?多いよ。」 「たまには、いいじゃない。それで、その子は?」 「違うよ。彼女じゃないよ。彼女なんかにしたら、まあ大変な人だ。」 「そうなの?へぇ、でも、あなた嬉しそうに言うじゃない。」    そう言いながら母の手が、また伸びてきた。 「そんなことはない…あ、もう?食べるの早っ。もう最後だよ。それより、母さん、お父さんって、僕は会ったことある?おじいちゃんも。」    嵐は、スナック菓子の袋を閉じながら、聞いた。 「やだ、ケチね。」 「母さん、最近太ってきたんじゃないの?それで、能登行ったこと、覚えてないんだけど。」 「お父さんのとこ?何度か、連れて行ってるわよ。お父さんのお姉さんと、よく似た人が近所に一人いてね、その子の娘さんと、あなた遊んでたわね。同じくらいだったかな。あなたの方が少し上だったのかな。」 「あの、言おうかどうか迷ったけど、たぶんその子、今日来るって言ってた子。」 「えっそうなの?なんで、また、どういうこと?どこがどうなって、そうなったの?」    母は、指一本一本を丁寧に、ウエットティッシュで拭いていた手を止め、嵐に食いついた。 「それりゃ、驚くよね。あのね、その子の子供の頃を知る機会があって、智子さんって言う人のことは聞いていたんだ。でも智子さんに弟がいたことまでは知らなかったし。母さん、能登ののの字も口にしなかったから、自分には全く関係ないと思ってたんだけどね。あの弁護士さんから、渡辺って名前を聞いた時、もしかしてって思った。そしたら今度は、祖父が昭っていうし、その名前もね、聞いていたからビックリしたよ。まさかって思った。」 「すごい話ね。でもこの前、弁護士さん来てた時、何にも言ってなかったじゃない。」 「だって、話がまた違うのかなと思って。それより、父親の存在をこんな形で知ったんだ。頭がいっぱいで、それどころじゃなかった。」 「そうだけど。で、明日はどこ行くの?」 「その町の神社の近くに、祠って今あるのかな。そこで、待ち合わせしてる。」 「祠ねえ、そんなのあったかしら。私もあまり、あの地域のこと知らないからね。あなたのお父さんなら知ってると思うけど。また、渋いところで、待ち合わせなのね。」 「ちょっとね、ロマンがあるんだ。」 「なあに、意味深ね。まあ、あまり追及しないでおくわ。」 「でも、こうやって二人で、どこか行くなんて、もう何年も、無かったわね。」 「そうだね。そういえば、あまりどこかへ連れて行ってもらった記憶ないね。母さん仕事ばっかじゃん。」 「ごめんね。」 「別に、それはそれで、しょうが無いじゃん。仕事しながら、子育ては大変だと思うよ。」 「嵐、大人になったのね。泣けてくるわ。えっと、もう25だっけ?」 「来月でね。」 「彼女はいくつ?」 「だから、彼女じゃないって。どうだっけな。確か、22歳くらいだったと思う。」 「若いわねえ。早く、孫の顔みたいなと思ってね。同級生なんて、お孫さんいる人けっこういるのよ。羨ましくて。」 「やめてよ。まだ、父親なんて、無理。」 「でも、私が元気なうちによろしく。あっという間に歳とるんだからね。」 「わかったよ。」        駅には、河口美紀が自分の車で迎えに来ていた。 「遠いところ、すみません。正彦さんは、急な検査が入ったとかで、先に昭さんがいる、グループホームへ行きましょうか。」 「おじいちゃん?」 「そうですね。嵐さんにとっては、おじいちゃんになりますね。」    嵐は、父に会えると思っていた緊張感を切り替えた。 「私たちが行ってもわかるかしら。」 「真美さんたちの事は、もう分からないかもしれないわね。今は、寝たきりで、食事がだんだん摂れなくなってきていて、経管栄養の話も出たんですけど、正彦さんの判断で、食べれなくなったら、そのままと言う事にしたみたいです。簡単な会話ならできると思いますよ。」 「そのままって施設で?」嵐が聞いた。 「施設でもお看取りは出来るのよ。」母の真美が答えた。 「真美さんは、介護の仕事だったわね。じゃ、見たら、どういう状態か分かるわね。」      20分ほどで、そのグループホームに到着した。    入口で、手の消毒をし、昭のいる居室へ案内された。    渡辺昭は、介護士に、ちょうど体位を変えてもらっているところだった。 「もう、自分では動けないのね。もっと、こう恰幅が良かったと思うけど、痩せてて、表情も乏しい感じだし。」    あの時の人か。確かに母の言う通り、嵐にも、もっと大きな人という印象が残っていた。    体位変換が終わり、昭の枕元でそっと母が話しかけた。 「あの、真美です。分かりますか?嵐も連れてきましたよ。」    昭の表情は変わらなかった。  「やっぱり、無理かな。」    ケアをしていた介護スタッフが聞いた。 「渡辺さんね、よく、トモコ、トモコって、私とか、他の女性スタッフにも言うんだけど、娘さんの事ですよね。私たち、お目にかかった事ないんですが、亡くなったとも聞いてないし、何か知ってます?」 「智子さんですね、15年前くらいでしょうか、行方が分からなくて。急にいなくなったから辛かったと思いますね。その事が、まだ、心に残ってるのかも。」 「それでね、そのトモコさんに、すまなかった、悪かったって謝ってる事が多いんですよ。」 「そうですか。家族の間で何があったかは、私にも分からないんです。正彦さんなら、わかると思うんですが。」    50代くらいの、女性の介護士が、おやつとエプロンを持って入ってきた。 「食事介助しますね。食べる量が少ないので、食間で補食をしているんです。」 「私、しましょうか?」    母が、準備をしている介護士に声をかけた。   「ご家族の方ですか?」 「いいえ、家族ではありませんが。」   「自分は、孫です。それに母さん、介護の仕事してるし。」   「すみません、食事介助は窒息のリスクもありますから、慣れたご家族であれば、食が進まない方も食べる事もありますが、基本介護スタッフが食事介助することになっていますので。」 「そうですよね。分かりました。」   「あの、ちょっといいですか?私、高田と言います。昭さんのご家族ともお付き合いがありまして。」  高田は、他の介護スタッフに食事介助を任せ、真美たちを廊下へ促した。   「ごめんなさいね。若い頃の、昭さんにそっくりだと思って。お孫さんがいたなんて。昭さんとは長い付き合いですが、知らなかったわ。正彦さんは、確か、独身だったと思いますが。」 「色々あって、結婚はしてないんです。後見人の方から、正彦さんが、私たちに何か話があるって言われて、15年ぶりくらいかしらね、ここへ来たの。」 「そうでしたか、正彦さんもいろいろ大変な思いしたから、命削ってしまったのかしらね。」 「そうなんですか?」  高田は、急に、コソコソ声になった。 「あまり、個人情報漏らすみたいで、言いたくはないんだけど。この昭さんのせいよ。昔は仕事で労働組合のリーダーで頑張ってたんだけどね、それで、町議会議員になるとかならないとかの話にもなってた事もあったわね。でもね、その時がピークだったかな、この人は。智子さんが生まれてから、色々言われるようになってね。良くない噂もあったし。そこに正彦さんが生まれて。正彦さんは、生まれながらに、近所から煙たがれる家族の中にいたのね。昭さんも、奥さんもかな、そのピークを忘れられないのか、何をするにも強引な人たちだったのよ。」   「それで、母さん、結婚しなかったんだ。お父さんが原因じゃなかったんだね。」   「うちの親も猛反対したことも理由だったけど、私自身も、この人たちの中で、とてもやっていく自信はなかったわ。私が来なくなってからも、色々とあったのね。」   「そうね、あなたが結婚しなかったのは英断だったわね。」 「あ、母さん、そろそろ、行かないと。今から、そのお父さんに会うんだ。」 「そう、たくさん話してあげてね。」 「それじゃ、おじいさん、行くわね。」    真美と嵐は、昭の手を優しく握って、そう声をかけた。    昭は、言葉はなかったが、その深い目元のしわで、塞がりそうな瞼を懸命に開け、じっと、真美と嵐を見つめ、みるみる鼻を赤くし、一筋の涙が頬のしわを伝った。 「あら、分かってるのかしら。昭さん、謝ったり、怒ったりはよくあるけど、でも、涙流すなんてなかったわ。」    外へ出た嵐は、空を見上げて言った。 「なんか切ないね。あまりいい人ではなかったみたいだけど、ああいう姿みると、なんか優しくしてあげたくなるね。」   「嵐、その気持ち忘れないでね。」 「でも介護の仕事って大変だね。」 「そうよ。介護って大変なのよ。特に認知症の人の介護はね。自分の感情をコントロールできなくなるでしょ。こちらの対応次第で、手が出たり、怒ったりするの。だから、介護する側が、苛ついたり、手が出てしまったり。仕事とはいえ、人間だしね感情的になってしまうけど、そこはプロとしての対応が必要なのよ。知識を身に着けて、よく相手を理解して、よく考えて対応しないとね。」   「うあ、大変だな。こんな大変な仕事で、母さん、一人で自分を育ててくれたんだね。ありがとう。」   「やだ、どこまで優しいのよ。泣きそうよ。嵐がいたもの、大変だとは思わなかったわよ。」   「良い話ね。親ってそういうもんよ。じゃ、そろそろ行きましょうか。昭さん、どうだった?真美さんたちの事、分かったかしら?」 「帰り際、泣いてたから、何か感じたかもしれないわね。」    三人は、再び河口の車で病院へ移動していた。   「あのあばさん、高田さんだっけ、何か色々喋ってたでしょ。この前も、べらべらと話してたわね。あんなお喋りで大丈夫かしらね。」 「でも、自分的には、父の事聞けて良かったです、見方が変わりましたから。」 「そうか、じゃ、先にこっちに来てよかったわね。」
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