悲しみの涙は炎に焚べる(一)

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 風の底まで静まり返っていた。  冷える体で、行きよりも雪に足を取られながらも私は家の前まで帰った。薪を燃やして、母が微笑む想像をしながら。  けれど、胸に去来する違和感。  扉を開けるその音さえうるさく感じられるほどだった。  消えた暖炉の火、僅かに霜じみた食卓、現れては消えていく私の白い息、窓へ見向かったままの母。  家に入った時にはもう、心のどこかで悟っていた。その帰結を私は昔から既に知っていた。医者に言われたからではない。薪割屋の手下に言われたからではない。幸せは雪だ。強く掴んでいたら溶けて消えると分かっていた。  それでもあえて、いつも通りの声音で私は言う。 「お母さん、ただいま」  雪がしんしんと積もる音ばかりが聞こえる。ベッドへと近づく。床板の軋む音が響く。 「……お母さん」  伸びて流れた髪の隙間から見える肌色は、白。吸い込まれるように指を伸ばして触れる。母は冬そのものだった。  張り詰めていた息が全て肺から漏れだす。しじまだけが応えだった。 「ただいま」  水が頬を流れた。髪に積もった雪が溶けたのだと思った。しばらくしてそれが自分の涙だと悟ったとき、自分がへたり込んでいることや、平静を保てなくなっていることに気がついた。  この時が来たのだと思った。前から、ずっと前から来ると分かっていたことだ。それでも感情の水位は私の中で上がり続けて、私の理性は悲しみの海で泳ぐ魚だった。
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