ヒトゴミさん

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 男は30歳を過ぎたころから自分の年齢を数えるのを止めた。雑踏を嫌い,人前に出ることを避け,常に一人で過ごしていた。  唯一の話し相手であり,お互いの顔が見える場所で話ができるのはケンだけだった。ケンとは初めて歌舞伎町に足を踏み入れたときから一緒だった。当時,男はシンと呼ばれていたが,それが本名でないのはケンも知っていた。  あれから随分と経つが,いまでもシンと呼ぶのはケンだけで,他の者達は男を「ヒトゴミさん」と呼んだ。  本名や年齢はお互いに知らなかったが,ここではそんなことはどうでもよかった。シンが初めて歌舞伎町にやってきたのは,中学2年生の夏休みだった。地元でやんちゃばかりしていたシンは、純粋に本物のヤクザを見てみたいといった好奇心を満たすためだけに一人で街にやってきた。  いまはもうない新宿コマ劇場裏を歩いていたときに,鏡のような光沢のある真っ黒な高級車の前に立つ男達が目についた。シンは緊張しながら,その車から視線を外せずに男達に見られていることも忘れ立ち止まって眺めていた。  そんな田舎の中学生が歌舞伎町にいる意味を男達は十分すぎるほど理解していた。男達はシンに優しく声を掛けると,そのまま雑居ビルの一室へと連れて行った。  部屋の中には,シンと同年代の子供達が何人かいた。そのうちの一人がケンだった。子供達は拒否することも許されないまま,当然のように住み込みで組事務所の掃除や洗車の手伝いをやらされるようになった。  住み込みでこき使われるようになると,一緒にいた子供達が一人また一人と姿を消していった。それもある日突然,誰にも見られることなく姿を消す子供達は,自分の意思でいなくなっているとしか考えられなかった。  事務所から逃げ出したのか,それとも別の場所に連れて行かれたのかは誰にもわからなかった。ただ,一度でも姿を消した子供とは二度と会うことはなかった。
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