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ある日、隣部屋の音について、どうしたものかと考えながら大学を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「よお、里山。講義終わりか?」
振り向いてみると、そこには里山の唯一の友人ともいえる天崎雪輝が立っていた。
里山にとって天崎は小学校からの友人であり、腐れ縁だ。
いまだにサークルを決めかねてふらふらとしている里山とは対照的に、天崎は入学初日に軽音部への入部を決めたらしい。里山の記憶では、天崎はギターどころか楽器すら触ったことがないはずだが、入部理由を聞いて納得した。
ギターを弾く男はモテるから、らしい。
「ああ、今から帰るところだ。」
「俺もなんだよ。途中まで一緒に行こうぜ。」
「軽音部はどうしたんだよ。練習とかあるんじゃないのか?」
「あー。軽音部はだめだ。俺に合ってない。まず部員が男しかいない。」
それは入部する前にわかることではないだろうか?まあ、そもそも、飽きっぽい天崎が部活を続けられるとは思っていなかったけれど。
バス停へと向かう道中、里山はふと思い立って、隣の部屋の音について、天崎に話してみることにした。まあ、天崎に話してどうにかなるものでもないだろうが。
話してみたはいいが、特にオチがあるわけでもないのでそれほど面白い話でもなかったはずだが、話を聞き終えた天崎はにやにやといやらしい笑みを浮かべていた。
「それはお盛んなことだな。それで、なんだ?羨ましいのか?」
確かに聞きようによってはそうとらえられても仕方ない話かもしれなかった。里山は慌てて訂正する。
「ち、違うよ。ただ、気になるってだけだ。それに、毎晩ってのはさすがにおかしいと思わないか?」
「まあ、多少思わなくはないが。お隣さんも大学生になって浮かれてるんだろ。それに、経験なしのお前に頻度の多い少ないとかわかるのか?」
そう言われてしまうと言葉に詰まる。確かに里山にわかるはずもなかった。なので、里山は天崎の言葉を無視した。
「しかも、なんか違うんだよ。」
「違うって何が?」
天崎は理解できないというような顔をいた。里山が苦し紛れな言い訳をしているとでも思っているのかもしれない。しかし、里山が言いたいのは言い訳などではなく、違和感なのだ。
「なんていうか、そういう音じゃないっていうか……。あのぎし、ぎしって音はもっと違う音のような気がするんだよ。」
「それこそ、そんなのお前が分かるとも思えないけどな。」
天崎は茶化すように笑った。しかし、里山の不満げな顔を見て、からかいすぎたと思ったのかもしれないと思ったのだろう、若干真面目ぶった顔をしてフォローを入れる。
「まあ、お前がそういうんなら全然違う音なのかもな。例えば、そうだな……」
天崎はそこで急に声を潜める。
「首吊り死体の縄の音とか。」
「え?」
あまりに突拍子のないことをいうものだから里山は次の言葉をつなげないでいた。確かにあの音は重いものをロープでぶら下げたような音のようにも思える。
ぶらぶらと揺れる死体。
里山は隣部屋にぶら下がっているかもしれない首吊り死体の様子を想像し、背筋が寒くなるのを感じた。
天崎はそんな里山のリアクションが気に入ったのか、大声をあげて笑い出した。
「冗談、冗談だよ。マジになんなって。里山はガキの頃からビビりだよな。」
「べ、別にビビッてなんかない。死体なんて悪趣味なこと言うなよ。」
誰が聞いても強がりにしか聞こえない里山の言い草は天崎をさらに喜ばせたようだった。
「そうだ、知ってるか、里山?首吊り死体ってさ、時間が経つと体重の重みで段々と首が伸びるんだってさ。そんで、長い間放置されてるとろくろ首みたいに伸びきっちまうらしいぜ。」
「見たことがあるわけでもないのに、そんな情報をどこから仕入れてくるんだよ?」
里山は先ほどからかわれたお返しのように皮肉を返した。しかし、天崎はそのような皮肉に気づいてか、気づかないでか、素直に里山の問いに答える。
「んー、なんだったっけな。いつか読んだ本にそんなことが書いてたんだよ。『自殺のやり方全集』だったかな?」
なんとも不道徳的な読書をしているものだ。そんな本を出版して大丈夫なのだろうか。
そんな話をしているうちに二人はそれぞれの家の方向に別れることになった。
「そんじゃ、また明日な。隣の部屋、気になるなら調べてみたらどうだ?」
「ああ、ありがとな。また明日。」
しかし、調べると言ってもどうすればよいのだろうか。隣の部屋を何度ノックしてみても何の反応も返ってはこない。
やはり隣は空き家なのかもしれないということで納得しようとした里山であったが、
深夜になるとまたあの音が聞こえてくる。
ぎし………ぎし………ぎし………ぎし………ぎし………ぎし………
その音は次の日も、また次の日も聞こえてくる。眠れないというほどの音でもなく、気にしないように努めれば眠れてしまうのだが、さすがに眠りづらく、ふとした時に起こされてしまう。里山は寝不足で若干やつれてしまっている。
里山は何度か文句を言ってやろうと、昼間に隣の部屋のドアをたたいたが、いつ尋ねてみても隣人は留守のようで、返事が返ってくることはなかった。
しかし、夜になれば昼間の静かさが嘘のように毎晩欠かすことなく音が聞こえてくる。
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