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大学一年生、里山千治は満足していた。なぜなら今日から彼の新たな生活が始まるからである。
大学生活を開始するにあたり彼が新居に選んだのは築三十年、駅まで徒歩四十分、五畳一間の1LKのおんぼろアパートの二階であったが、それでも彼は満足していた。
彼のこれから始まる華々しいキャンパスライフを考えれば部屋が古くて狭いことなど些細なことであるし、何より家賃が安かった。敷金礼金なし、家賃は管理費込みの二万円。金遣いが荒い山里にとって家賃を節約できることは非常に嬉しいことであった。
それに初めは汚れた部屋ではあったが、掃除をしてみればなかなか見栄えの良い部屋になった。こうなると、狭く、古い部屋は逆におしゃれに見えてくる。小さくまとまったアンティークなお部屋と言い換えることができるかもしれない。新しい生活に浮かれている里山はそんなことを考えた。
実家から持ってきた荷物の荷ほどきも一段落つくと、里山はあることを思い出した。
「そういえば、まだ隣に挨拶してないな。」
里山が引っ越してきてからすでに五日が経っている。本当ならば引っ越し初日に挨拶に行くべきだったのだろうが、大学生活を始めるにあたり、いろいろと準備することが多く、忙しかったのだ。
里山の部屋は二○一号室の角部屋。お隣は二〇二号室の一部屋だけ。
少し遅れてしまったが、粗品として手ぬぐいも用意していることだし、挨拶だけでもしておこうと、里山はお隣である二○二号室を訪ねてみた。
扉を控えめにトントンとノックする。(古いアパート故インターホンすらないからだ。)
しかし、何度扉をたたいても反応は返ってこない。
「すいません、隣に引っ越してきたものですが。」
呼びかけても返事はない。誰かがいる気配すら伝わっては来なかった。
もしや、空き部屋になっているのだろうか。まあ、古いアパートだしそういうこともあるだろう。里山は無駄になった手ぬぐいを片手に部屋に戻ることにした。
その夜、里山が布団にもぐろうとしたとき、隣から微かにだが音が聞こえてくることに気づいた。
「ん?」
空き部屋ではなかったのだろうか。耳を澄ませてみるとやはり隣から聞こえてきている。
「何の音だ?」
気になった里山は布団から這い出し、壁に耳を当てる。
ぎし………………ぎし…………………
それこそ、今の里山のように壁に耳でも当てないと聞こえないほど微かだが、そんな音が聞こえてきた。
「なんだ、やっぱりいるじゃないか。」
それにこの音は……。
まあ、眠れないというほどの音でもないので、里山は盗み聞きもほどほどにして、布団に入った。
しかし、それからというもの、毎晩のようにあの音が隣の部屋から聞こえてくるようになった。毎晩のように、というより、実際に毎晩聞こえてくるのだ。
初めのうちは気にしないようにしていた里山だったが、一週間も続けばいやでも気になってくる。
それに、その音は里山の気のせいでなければだんだんと大きくなっているようでもあった。
ぎし………ぎし………ぎし………ぎし………
里山は隣人に文句を言おうかとも考えたが、他人の情事を盗み聞きしているような罪悪感を感じている里山はいまいち踏ん切りがつかないでいた。それに隣の住人がどのような人物かも知れないので、乗り込むのが怖かったのだ。
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