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あとがき【2022.2.2追加】
『ダブルスタンダード』、お読みいただきありがとうございます。
ここからは、私がなにを考えてこの話を書いたのかというひとり語りです。
ヒロインの絢は、元々自分が嫌いで嫌いで仕方ない人です。
でもだからといって、セックスが彼女にとっての自傷行為とそのままイコールにはなっていません。正確には、プラスにもマイナスにもなっていません。
そこまで自分を嫌っている彼女がどうやって息を繋げ続けているのか、その答えが「先生に対する純粋な恋情」です。
身体を使って楽しく生きる、そう思い込めば思い込むほど、純粋な恋をしている自分はより輝いて見える。そういう意味では、「他の男とのセックス」は彼女の生きる理由をより輝かせるためのスパイスであり、自分をうまく生かすための手段のひとつなのかなと思います。
彼女はきっと、生きているのが面倒だと思ってしまいやすい性質なのだと思います。
そういう感覚や思考は、その人のそれまでの人生や育った環境など、さまざまな要素によって輪郭を持つものだと私は思っているのですが、彼女のそういう部分は作中では詳しく描いていません。蛇足感がすごかったので。
そして、絢はそういう純粋な自分を、あの夜に先生自身の手で壊されてしまった。
『淡く頬を染める少女のような純粋さを湛えていた私を、奔放に夜を駆け抜ける私と平等に生かしてくれていた穏やかな恋は、幸せの絶頂の中でその息を止めた』(本文抜粋)
すべてはこれです。
長い一文ですが、個人的にはこの作品を象徴する一文だと思っています。
先生は絢にとって偶像。恋をする対象であり、セックスをする対象ではない。
それなのに、男に殴られ、セックスを楽しんでいる気になっている自分と真正面から向き合わされたから、突きつけられてしまったから、その認識さえ揺れるほどのショックを受けた。
ただ、そうなったときに縋りたいと思う相手もまた、彼女には先生しかいないわけです。
先生のおかげでなんとか生きていられた絢が、他ならぬ先生のせいで、今度は生き続けたいという気持ちを急激にしぼませる羽目になった。死にたいとまでは思わなくても、ずるずると生きていることが億劫になってしまった。
そして、それさえ止めたのが先生なのであった。
……というところに私なりのロマンスを込めたつもりでした。
先生目線の話もいろいろ考えてみましたが、やはり蛇足になると感じて筆を止めました。
最後に一点だけ、私のこの自作語りはどなたの感想も否定するものではありません。
基本的に、私は読んでくれた人には読んでくれた人だけの感想を持ってほしいし、なにも思わなかったならそれもまたひとつの答えなのだと思っています。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
2019.1.22/ふせったーにてあとがき公開
2022.2.2/一部修正してあとがき再公開
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