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私が相手の男に提示するルールは三つ。
避妊具を使うことと、暴力をふるわないこと。そして、男のほうから次を求めないことだ。
その条件さえ満たしていれば、大抵は応じる。例は少ないものの、いいなと思えば二度目を誘うことだってあった。
私が私自身に課しているルールもふたつある。
相手を〝客〟にしないことと、寂しさを原動力にしないことだ。
これらを基盤にしておかないと、私という人間が不用意に損なわれてしまいかねない。それは嫌だ。私は、この遊びを楽しむために身体を使っている。
金を理由にすればただの仕事に成り下がってしまうし、寂しさを理由にすれば〝遊びを楽しむ〟という心境では到底いられなくなるだろう。だからこそ、私にとってはどちらもタブーだ。
ピルは夜遊びを始めた当時から飲み続けている。私の場合は、妊娠を確実に避けるためだ。とはいっても、妙な病気を感染されるリスクを回避する意味と、単純に身体を汚されたくないという意味で、コンドームの使用は徹底してもらっている。
それを渋る男は論外だ。どれほど顔が整っていても、いい身体つきをしていても、あるいは社会的に高い立場にある人物であっても、そんな男は私の相手にふさわしくない。選択肢にも入らない。
こういう火遊びをしているくらいだから、私自身もコンドームの手持ちは極力切らさない。だが、基本的には普段から持ち歩いているような慣れた男を選ぶ。そのほうがいろいろと心得ている場合が多いからだ。
それでも、ハズレの男を引いてしまうことは多々ある。
「……ん」
声を漏らすのは好きではないけれど、男によっては好むから、気が乗れば出してやる。演技は苦手だし、嫌いだ。声が出なくもない程度に良くしてくれる男であることが大前提ではある。
自然と零れることはほとんどなくなった。五年もこんなことを続けているからか、行為自体を冷静に受け入れてしまう。だいたい、その場限りの火遊びで得られる快楽なんて高が知れている。だが、それがいいから続けている。自分の意思で。
セフレを作った時期もあったが、大概うまくいかず、自分には合わないやり方なのだろうと判断してさっさとやめた。割りきった関係の中での執着や馴れ合いは、適度ならば好む人もあるのかもしれないが、私は一切望んでいない。
今日の男は、終わった後に喋りたがるタイプだった。
恋人と別れたばかりなのだと自分から語り出し、私は終始聞き役に徹した。自嘲気味な笑みは次第に低い声に埋もれて消え、最後には吹っきれたみたいに笑って、男は私に感謝を述べた。
分からない。でも、今夜があったからこそ前に進めるのなら、それはそれでいいことだと思う。
それ以上の関心はやはり持てなかった。別れ際に寂しげに笑いかけられ、私はそれごと遮るように緩々と手を振った。この男とも、二度目はないほうがいいだろうなとぼんやり思う。
……過去に、たった一度きり、先生に誘われたことがある。
高校を卒業した直後だった。両親が望む高ランクの大学への進学を諦め、私は実家を離れて隣県の短大に進んだ。その進路を後押ししてくれたのも先生だった。
当時の私は、学校の教師たち、さらには親に寄せるそれよりも遥かに強い尊敬を、家庭教師だった先生に抱いていたのだと思う。週に数回、二時間にも満たない時間のみ顔を合わせる先生を、私は男性としてではなく人として慕い、全幅の信頼を寄せていた。
あの頃の私はすでに夜遊びの蜜の味を知っていて、けれど私は先生の誘いを断った。応じていい気も確かにしたのに、なんとなく違う気がしてならなかった。
今なら分かる。私は、私を性的な対象として捉えてしまった先生にがっかりしたのだ。尊敬も信頼もしていた先生を、単に遊びを楽しむだけの対象として捉えることは、私にはどうしてもできなかった。
先生に恋をしていると自覚したのは、そのときだ。
以来、私はかれこれ五年近く先生に片思いを続けている。先生にとっての終わりが、私にとっての始まりだった。すれ違い方が怖いくらいにドラマチックで、ゾクゾクしてしまう。
あの日の先生は、私を誘っただけで、好きだとも付き合ってほしいとも言わなかった。
もしあのときに好きだと言われていたなら、今の私たちの関係はもっと変わっていただろうか。つい甘い期待を寄せたくなるが、私のこの生き方を考えるなら、先生の心身を限界まで疲弊させて苦しめた挙句に別れていたのではと思う。
だから、今も昔も、先生の本心なんて分からないままでいい。先生に恋をしていて、こんなにも焦がれている。今のこの距離感を、私はこよなく愛している。
先生は今も家庭教師を続けている。週に一、二度、夕方や夜に出かけていくときは、大抵そちらの仕事が入っている日だ。
私が高校生だった当時、彼はアルバイトとして家庭教師をしていた。今は本業がある分、昔よりもそちらの仕事の比重は少なくなっていると思う。
先生の私生活には立ち入らないから、詳しいことは分からない。私が勝手に予想をしているだけであり、無論、本人にわざわざ確認を取るつもりも毛頭ない。
「ただいま」
午後八時。今日の帰宅は、いつもより早めになった。
キッチンか先生の自室か、どちらかに電気が点いているはずが今日は点いていないから、きっと出かけているのだろう。だが。
家庭教師の仕事で出かけているとしても、それ以外の理由で出かけているとしても、私にはそれを追及する権利も責める権利も一切ない。私の自由を侵さない先生の自由を私が侵すことは、許されるべきではない。
「……ただいま、先生」
無人だと分かっていて呟いた声は、ひんやりした玄関に思った以上に物悲しく響いてしまって、でも別にそれで良かった。
私は、私がしたいようにするし、言いたいことを言いたいように言う。
私のことは私が決める。当然の話なのに、なかなかうまくいかないこの世の中で、先生はそれを遮らない。それどころか尊重してくれている節すらある。
今の私が帰る場所は――帰りたいと思う場所は、先生の隣だけだ。
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