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舞い降りるように眠りに落ちていこうとした、その時。
馬車の後方から、駆けてくる馬の蹄の音がした。ユーリアは目を開けたものの、身じろぎできない。
だって、まさか、そんなことが。
馬はこちらの乗り物を追い越し、厳しい声が上がった。
「待て! 馬車を止めろ!」
ああ、これは私の作り出した幻だ。なぜなら、それはいちばん聞きたかった声。
馬車が速度をゆるめ、やがて完全に止まった。ユーリアは混乱しながら体を起こした。
自分はいま……夢を見ている。
不安に身を縮めた。誰かの走り寄ってくる足音が聞こえる。彼女は腰掛けの上で、後方に下がる。
次の瞬間、ドアが勢いよく開かれる。息を切らしながら姿を現したのはカレルだった。
ユーリアは目を見開いて硬直する。現実だとは思えなかった。
カレルが大きな息をひとつ吐いて、真剣に彼女を見つめた。
「ユーリア、帰らないでくれ」
彼女は口を開きかけたが、何も言えなかった。カレルは切なげに目を細めたあと、すっと手を差し出した。
「そばにいてくれ。これからもずっと」
「カレルさま……」
ユーリアはその手のひらを呆然と眺めた。
「私は……私は人間の娘で、貴方にはふさわしくなくて」
するとカレルはかぶりを振った。
「俺の妻は、ユーリアただ一人だ。それが叶わないなら、生涯、結婚などしない。お前には隣で笑っていてほしい。離れていかないでくれ」
「……領主さまがそんなことを仰っては」
「俺はお前を愛した。失いたくないと思った。お前を諦めるぐらいなら、領主の椅子を捨ててやる。自分らしく生きるのを放棄して、そこにいるのは本当の俺なのか?」
「そんな……。私は貴方に道を誤らせてしまったのですか?」
「心を殺して生きることが、正しい道だと言うのか?」
言葉を失う彼女に、カレルは静かな声で問いかけた。
「ユーリア、ひとつだけ答えてくれ。お前は……俺のことが嫌いか?」
ユーリアは目を見開いたあと、相手を激しくなじった。
「ずるいです、そんな聞き方……っ!」
彼女は涙を流し、両手で顔を覆った。
「私は……私は、貴方を愛しています! そばにいたい、たとえ許されなくても。貴方を困らせようと、それでも私は……」
ギシッと馬車の軋む音がして、ユーリアはカレルに強く抱きしめられた。
「俺とお前の心がひとつであるのに、いったい誰の許しがいる?」
「貴方がいてくださるなら、何もいりません」
「二度と離さない」
「カレルさま……ごめんなさい。貴方なしでは生きていけません」
「寿命が尽きるまで、ずっと共にある」
ユーリアは彼のぬくもりと匂いに包まれて、夢見心地になった。立場や種族の違いといったもろもろが遠ざかる。
一緒にいられるなら、駆け落ちすることになってもいい。苦労しても構わない。
領主をたぶらかした悪女として命を狙われても、彼の手を離すことはできない。
「カレルさま……愛しています。貴方を望んでしまう私をお許しください」
「俺はお前のものだ。養い親から娘を奪ってしまう俺を許してくれ」
そしてカレルはすこし体を起こし、大きな手で彼女の頬を撫でた。
「俺と結婚してほしい」
ユーリアは涙ぐみながらも、笑みを浮かべてうなずいた。
「はい」
カレルは感に堪えないというふうに目を細め、囁いた。
「愛している」
そして互いの顔を近づけ、誓いのキスを交わした。
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