後日談 補佐官に風が吹く 前編

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「その策を取るのは、無能の証と思え!!」  カレルが立ち上がると同時に、彼の座っていた椅子がガタッと倒れた。突然の怒号に、評議をしていた貴族たちが唖然と若い領主を見つめた。  カレルが政治の場で感情をあらわにしたのは、これが初めてである。  怒りを引き出してしまった中年の男が、オロオロと言い訳をした。 「いえ、あの、税を上げるというのはあくまで一案でして……何も、即座に実行するつもりは」 「当たり前だ! 安易に決定されてたまるか! お前たちは何も分かっていない!!」  下手に口を挟むと、領主の激昂を煽るだけだと、誰もが沈黙した。  鋭い目でみなを見渡して、カレルは言った。 「知ってのとおり、俺は庶民として育った。税が多少上がろうと、貴族にとっては微風にすぎないだろう。だが、ギリギリの生活をしている者にとっては、『死ね』と宣告するにひとしい。民の首に手をかける自分を想像してもらおうか。殺す覚悟のある者が、その決定を下せるのだ」  青ざめる者もおり、反論は上がらなかった。あるじの主張は真っ当なものだ。加えて、評議に参加する面々は、新領主を大人しく御しやすい青年だと舐めてかかっていた。  それが誤った認識だと、全員が理解したのである。 「……すまない」  私室の椅子に深々と座ったカレルは、目の前に用意された紅茶に手を伸ばさず、疲れたようにつぶやいた。  ラディムは微笑した。 「何を謝ることがございます?」 「やっぱり俺は理想の領主になどなれない。貴族には貴族の言い分があっただろうに、一方的に怒りをぶつけてしまった。彼らの協力なしに、統治はおぼつかないのに」 「これまで評議は、貴族の意見に支配されていました。庶民の間で不満がくすぶっているにも関わらず。新しい風を入れる必要があるのです。今日明日、変わるのは難しいでしょう。しかしこれからは、双方の意見を取り入れるべきです。貴方にしかできないことがあると思いませんか?」  するとカレルは驚いて体を起こした。 「貴族の領分が侵される、と考えないのか?」 「それは民あってのこと。仮に、彼ら全員が領地外へ逃亡したらどうなります? 残された貴族にいったい何ができますか?」 「……お前、相当な変わり者だな。そうは見えなかった」 「ええ、じつは猫をかぶっておりました。貴方が伝統を重んじる方なら、こんなことは申し上げなかったでしょう」 「俺を支持すれば、しなくてよかった苦労を背負うことになるぞ」 「前例を維持するだけというのは性に合いませんので」  若い領主はやれやれと肩をすくめた。 「お前が領主になれば、手っ取り早いんじゃないか?」 「矢面に立つのはごめんです」 「ひどいことを言う」 「それに、部下として自由の利く身であるほうが、暗躍しやすいというものです」  カレルは補佐官にひんしゅくの目を向けた。 「庶民の領主より、お前のほうが貴族にとって災いだな」 「古い考えに固執する者は、対応できないでしょう」 「猫というより、とんだ狸だ」 「さて、貴方も騙されないようお気をつけください」 「好きにすればいい。どうせ、俺に太刀打ちできるはずがないし、今のところ見ている方向は同じだからな」  ラディムはわずかに目を見開いたあと、静かな笑みを浮かべた。  領主は開き直ったのだろうが、補佐官にとっていちばんやりづらい相手は、こういう者だ。  カレルは意識してそう振る舞っているわけではあるまい。だが、ラディムは相手の中に『器』を感じた。 * * *  新領主は、評議で意見をしっかり口にするようになった。怒鳴ったり叱ったりすることはないが、譲らないと決めたことは譲らない。  しかし貴族をないがしろにするつもりはないので、ラディムにたびたび意見を求めた。  カレルは貴族のほとんどを保守派だと感じているが、それは表面的なことである。長く続いた伝統に、停滞と息詰まりを感じる者は少なくない。まだ噴出していないだけだ。  つまり、きっかけがあれば状況は一変する。  庶子の領主が一石を投じた。波紋はジワジワ広がりつつある。いずれ機は熟すだろう。  そのときが訪れれば、多少の混乱は起きるかもしれない。だがゆるやかに腐敗していくよりは、よほどいい。  カレルやラディムといった存在がなかったとしても、不変のものはない。そこについていくもいかないも、個々の自由だ。  どちらが正解かは、後の世になって分かることだ。なら、悔いない選択をするしかない。  誰も自分の代わりに生きてくれないのだから。  ラディムは領主を補佐しながら、外部に対してあるじの足固めを進めた。もちろんなびかない者もいる。  だが、前領主の統治下ではこのような風向きになるとは思わなかった。カレルが、かの椅子に座った意味は大きい。  その影響を、そよ風で終わらせるつもりはなかった。  事がうまく運ばず、カレルがイライラしているときもある。相談ごとは補佐官に持ち込むが、愚痴はあまり口にしない。ラディムはその点が気になっていた。  ある夜、補佐官が自室に戻ったとき、外から雄々しい咆哮が聞こえた。驚きはしたが、あるじのものだと分かって、そっとしておくことにした。  ため込むほうが、のちのち怖い。  翌日、使用人たちはおののいていた。カレルがスッキリした表情になったので、ラディムはそのことに触れなかった。
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