残された時間

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残された時間

「ユーリアさま、準備が整いました。十日後には元いた領地へお帰りいただけます」 「えっ……」  三時の休憩時にラディムからそう言われ、ユーリアは絶句した。  人狼の地へ来てから三ヶ月近くたっているので、残りの日数は少ないだろうと思った。だが、いざ明確になるとショックだ。  かろうじて補佐官に返事をする。 「……分かりました。尽力してくださり、ありがとうございます」 「いえ。状況としましては、貴女がこちらの生活に馴染めず心身ともに弱ってしまった、という流れになっています。それでもお父上は、心ない言葉をかけるかもしれません。どうぞお聞き流しください。あとは養い親のもとへ戻ることができるでしょう」 「父に何か言われても平気ですから、気にしないでください。感謝します」  ユーリアは頭を下げたあと、相手に微笑してみせた。  そして隣のカレルに目を向ける。金の瞳は彼女をじっと見つめていた。  ユーリアは彼に対して言う。 「カレルさま、本当にお世話になりました。こんなによくしていただいたのに、何もお返しできない私をお許しください。あと十日、どうぞよろしくお願いします」 「……ああ。その、まるで年の離れた妹ができたようで、楽しかった。もっと気の利いたことをしてやればよかったんだが。養い親が恋しかっただろう。帰ることができて……よかったな」  ユーリアは、体内で荒れる感情を押し殺してうなずいた。 「はい、嬉しいです。きれいなドレスを着たり、贅沢な料理を口にしたりして、夢のようでした。けれど私は、町の娘として地味に生きるのが性に合っているのだと思います。素敵な時間をありがとうございました」  するとカレルは目元を和らげてから、視線を山のほうへ向けた。  互いに言葉はなく、残っていた紅茶もそのままに、ただ静寂が流れた。 * * *  その夜、ベッドに入ったユーリアは、見慣れた広い背中に向かって話しかけた。 「カレルさま、ひとつ、わがままを聞いてくださいませんか?」  彼は見開いた目で振り向いた。 「なんだ?」 「私、旦那さまに手料理を食べていただくのが夢だったんです。一度だけ、召し上がってくださいませんか? 厨房に入ってはいけないと分かっています。私の作る物は庶民の料理で、貴方さまに失礼だということも。でも、もしカレルさまに口にしてもらえたら……とても嬉しいです」  ユーリアは必死に相手を見つめた。 「やっぱりダメですか?」 「い、いや……」  カレルはひとつ咳払いをして、柔らかな眼差しを注いだ。 「お前の料理が食べてみたい。作ってくれるなら、食材を用意させよう。心配するな、俺の舌は庶民として育ったものだぞ? 素朴な味わいが懐かしい。こちらから頼みたいぐらいだ」 「よかった。人間の料理なので、お口に合わなかったら申し訳ありません。でも夢が叶います。本当にありがとうございます」  カレルはふっと笑った。 「わがままと言うから、すこしは困らされるかと思ったのに、お前はどこまでも欲がないな」 「そんなことはありませんよ? だって、一人ではどうしようもないのです。食べてほしい人がいて、その相手が了承してくれないと成立しません。カレルさまがいらっしゃらなかったら、夢のままで終わりました。なのにこうして実現する……。私にはもったいないことです」 「ユーリア……」  カレルは彼女のほうへ体ごと向き直り、大きな手でユーリアの頭をそっと撫でた。 「早く言えばよかったのに。俺は喜びこそすれ、止めることも怒ることもなかったぞ? お前は俺の留守中に使用人を驚かせたのだから、厨房に入ったところで『またか』と思われるだけだ。この屋敷に眉をひそめる者はいない」 「ふふ、そうですね。もっと前に思いついていれば、カレルさまの目を盗んでいけないことをしました。でも一度だけでも叶うのですから、私は幸せです」  するとカレルはなぜか苦しげに目を細め、彼女を腕の中へ引き寄せた。彼の体がかすかに震えている。 「一度と言わず、二度でも三度でも作ればいい。失敗作でも、人狼の舌に合わない味でも、すべて平らげてやる。庶民の夫婦のように。そんなふうに出会っていれば、俺はお前を――」 「カレルさま……」  ユーリアは大きな体にしがみついた。 「貴方は私をたくさん照らしてくださいました」  カレルの息を呑む気配がして、ユーリアはさらにしっかり抱きしめられた。  彼は何かを伝えるように、彼女の頭を撫で続けた。
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