後日談 補佐官に風が吹く 前編

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後日談 補佐官に風が吹く 前編

「僕は親不孝をするの?」  少年に思わぬ質問をされて、ラディムは驚いた。十歳になる人間の男の子は泣きそうな顔で、唇を噛み締めて補佐官をじっと見つめた。  ラディムは持っていた書類を机に置くと、相手に歩み寄って膝をつき、視線の高さを同じにした。 「なぜそう思われたのですか?」 「本を読んだら書いてあったんだ。『親より先に死ぬことがいちばんの親不孝』だって。僕はきっと……父さんより先に死ぬよね? そうしたら、すごく哀しませるよね?」  少年サムエルはひどく悔しそうに吐き出す。 「どうして僕は、兄さんや姉さんのように人狼に生まれなかったんだろう? 父さんを哀しませたくないのに……」  なるほど、とラディムは納得する。サムエルは両親や兄や姉に、そんな言葉をぶつけることはできないだろう。  口にしたところで誰も幸せにならないと、少年は理解しているのだ。  相手を思いやり、ときに自分の感情を抑え込む。強くもあり脆くもある。それでも、何とかして状況と向き合う。  やはりこの少年は、カレルとユーリアの子だ。ラディムは感慨深い思いで彼を眺めた。 「サムエルさまが産まれたとき、ご両親はとてもお喜びでした。これ以上の幸せはない、というほどです。お父上は貴方に対して、ご兄弟と接し方を変えますか?」 「ううん。いいことをすればみんな褒めてくれるし、悪いことをすればみんな叱られる」 「そうでしょう。あの方にとって、お子さまに違いなどないのです。元気で笑顔で育ってくださること、それが一番なのですよ」  サムエルはすこし持ち直したが、晴れない表情でつぶやいた。 「でも僕は、父さんより先に死にたくない」 「できれば、カレルさまが寿命をまっとうされるのを、ご兄弟で見送りたいのでしょう?」  少年はコクリとうなずいた。  ラディムはもし自分にそんな力があるなら、彼の願いを叶えたいと思った。しかし、残念ながらこれはどうにもならない。  人間の寿命は六十年から七十年である。対して、人狼は百年以上は生きる。  サムエルは、カレルが二十代半ばに生まれた子なので、単純に計算すると、父親よりこの少年のほうが早く亡くなる可能性が高い。  ただ、サムエルには人狼の血が入っており、彼の双子の兄と姉は人狼でありながら、人間の血が入っているので、寿命がどうなるかは分からないのだ。  サムエルの不安は杞憂に終わるかもしれない。しかし、そうならないかもしれない。  であれば、可能性を心に留めておいたほうがいいだろう。亡くなる間際にその事実を知ったら、後悔ばかりが残る。  ラディムは少年の肩にそっと手を乗せた。 「サムエルさま、別れは来ます。それは哀しくて辛い。けれど、和らげることができます。貴方の力で、お父上をたくさん笑顔にして差し上げればいいのです。そうすればカレルさまは、サムエルさまが生まれてきてくれてよかったと、心から思うでしょう」 「本当に? 僕が人間だからって、父さんを苦しませない?」 「ええ、このラディムが保証いたします。ご安心ください。貴方はカレルさまをもっと幸せにすることができるのです」  するとサムエルはパアッと明るい表情になった。 「ありがとう、ラディム! 僕、父さんのところに行ってくる!」  止める間もなく、少年は部屋から駆け出していった。あるじは仕事中だが、多少それが滞っても今日は見逃そう、と補佐官は思った。  かつてこの屋敷は冷え切った空気に支配されていた。それが今や、建物内にぬくもりが満ちている。  変われば変わるものだ。  そして、何がきっかけで変化するかなど誰にも分からない。  ラディムはこれまでのことをふっと思い出した。 * * *  彼が次期の補佐官となるべく学んでいたころ、領主はカレルの父親だった。しかし体が弱く、子ができないうちに妻が病で亡くなった。  領主には弟がいたが、学者の道を選んで兄と疎遠になっていたため、次の領主候補になることを拒んだ。  そういう事情により、庶民として育ったカレルに白羽の矢が立った。  年齢が近く、今後の付き合いが長くなるであろうラディムが、彼を迎えにいった。  カレルは母親と暮らしており、補佐官見習いが訪ねたことに驚きはしなかった。こうなる事態を予測していたらしい。そのため、民間で学べるだけのことを学んでいた。  それでも母親は哀しみや淋しさをこらえる様子であり、カレルは諦めの表情だ。まだ、「身勝手なことを!」となじられたほうがマシだった。  領主の屋敷へ連れていき、父子は初対面を果たした。領主は「よく立派に育った」と喜んだが、息子は表情もなく無難に応じただけだった。  カレルは貴族としての知識や振る舞いを、順調に身につけていった。基礎ができているから、教える側が手こずることはなかった。  やがて彼が一定の学びを習得し、領主の体調がいよいよ優れなくなったとき、家督が譲られた。  庶子が新領主に就いたとは思えないぐらい、すべてがスムーズに進んだ。
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