補佐官に風が吹く 後編

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 ……と答えたことを、ラディムはすぐに後悔する。  いや、カレルがユーリアを連れ戻し、改めて夫婦になったのは喜ばしいことだ。彼らのために、結婚式の準備をするくらい、お安いご用だ。  しかし、夫婦の欲のなさが補佐官にとって強敵だった。  領主の結婚式だから、ある程度の格式を保たなければならない。だが、そういった例を挙げると、彼らは揃って遠慮してしまうのだ。  花嫁には、女性の誰もが夢見るようなティアラとネックレスを、と言えば、ユーリアは青ざめる。  花婿には最高級のタキシードを、と言えば、カレルは「そんなところに金をかけなくていい」と取り合わない。  庶民同士なら融通を利かせることもできるが、今回はそういうわけにいかない。  ラディムは悩んだあげく、一計を案じた。  聞かざるをえない相手の口から、提案させればいい。というわけで、夫婦を個々に丸め込む。  そして、カレルからユーリアへ言わせた。 「お前には繊細な飾りが似合うと思う。きちんとした物を作らせれば、代々受け継いでいけるだろう。娘や孫娘が嫁ぐとき、それをつけてくれたら、こんなに幸せなことはない。だから、お前によい物を贈りたい」  また、ユーリアからカレルへ言わせる。 「貴方は長身ですから、花婿姿は誰の目にも届くでしょう。みんな結婚に憧れ、すでに夫婦となった方々は相手を慈しみます。ですから、いちばん立派なお姿で臨んでください。もっとも私は、貴方があまり素敵ですと、直視できないかもしれませんが」  愛しの夫または妻から懇願されて、彼らに否があるはずもなかった。  そうして盛大な結婚式は成功に終わった。ラディムは見届けながら、いろんな意味で安堵した。 「成功してもらわなければ、報われない……」  彼の珍しいボヤキは、参列者の歓声によってかき消えた。 * * *  庭では、三名の子が追いかけっこをしていた。双子は服を脱いで狼の姿だ。唯一の人間であるサムエルが、膝に手をつき、息を切らして文句を言った。 「ずるいよ、兄さんも姉さんも狼になって! 人狼のときだって敵わないのに、僕が追いつけるわけないじゃないか!」  すると兄のエリクがからかう。 「よく言うぜ、すばしっこく動き回るクセに! しかも先読みするんだから、これぐらいがちょうどいいだろ?」 「兄さんたち相手だと、そうするしかないんだよ!」  今度は姉のアレナが励ます。 「サムエルなら、狼の私たちも捕まえられるわ! ほら、次はどうするの? 驚く方法を考えてみせて!」 「もう、簡単に言わないでよ〜!」  人間の子供としては身体能力の高いサムエルだが、さすがに疲れたらしくその場に座り込んだ。それでも双子は容赦なく弟を煽る。  子供たちの遊びを、椅子に腰掛けたユーリアがニコニコして見守る。  そんな家族の様子を、ラディムは屋敷の窓から眺めていた。  サムエルが拗ねた声を上げる。 「兄さん姉さんの意地悪! 僕、部屋に帰る!」  そう言って立ち上がり、クルッと振り向いたそのとき。彼の目の前に、ひときわ立派な大人の狼が現れた。サムエルが驚きの声を上げる。 「父さん!?」 「向こうが狼の力を使うなら、お前も使えばいい。そら、背中に乗れ!」  サムエルは一瞬ためらったものの、すぐ嬉しそうな顔になって、素早くカレルの背にまたがり銀の毛にしがみついた。  双子が不満を口にする。 「父さん、それはエコひいきじゃないか!?」 「そうよ、卑怯だわ! 私たち、とても追いつけない!」  カレルは笑い飛ばした。 「お前たちがどれだけ成長したのか見せてみろ! サムエル、しっかりつかまってろよ!」 「うん!」  今度は三匹の追いかけっこが始まった。双子の成長はいちじるしいが、やはり父親には体格も体力も劣る。  しばらく駆け回っていたが、やがて力尽きて地面に伏せた。  カレルも走るのをやめ、その背から下りたサムエルは兄と姉のもとへ駆け寄った。 「兄さん、姉さん、大丈夫?」 「くっそー、負けたのが大丈夫じゃない!」 「吠えられるだけ、私より元気ね……」  グッタリする双子に、カレルは嬉しそうな声をかけた。 「前より長く駆けたな。俺を追い越すのは時間の問題だぞ」  兄のエリクが、弟を羨ましそうに見た。 「いいよな、お前は父さんのスピードを体感できて。風を切るようなんだろ?」 「うん、すごいよ! でも兄さんたちは、成人したらあんなふうに走れるんでしょ? 僕も……」  言いかけたが、サムエルは両親を気にして続きを呑み込んだ。  姉のアレナが弟に笑いかける。 「サムエルだってすごいわ。機転が利くし、うっかりすると負けちゃう。私たちを狼にさせるのなんて、サムエルだけなんだから」 「えっ? 僕が相手だから変身したの?」  エリクがため息まじりに答えた。 「当たり前だろ。普通のやつ相手に、誰が全身獣化するかよ」 「そうなんだ……。えへへ」  喜ぶ弟の顔を、双子の狼がペロッと舐めた。  子供たちの横を通って、カレルは狼の姿で妻に近づいた。ユーリアはその頭を撫でてから苦笑した。 「貴方まで狼になるなんて。大人げないですよ?」 「まだ追いつかれたくはない。だが手加減できなくなってきた」 「単純に楽しんでいるようでしたが?」 「まぁ、否定はしない」 「もう……」  ユーリアは呆れた声を出したものの、椅子から下りて夫の首に抱きついた。 「駆ける貴方はとても雄々しかったです」 「それをお前に見てほしかったのかもしれん」 「未だに惚れ直してしまうではないですか」 「ふん、お前が言うか。今でも無邪気な言葉で俺を殺すくせに」 「そんなつもりは……。思ったことをそのまま口にしているだけです」 「だから、それがよけいにだな……」  カレルは深々とため息をついた。ユーリアが体を起こしたので、夫婦は間近で見つめ合う。彼のほうが言った。 「お前を愛しているから、ささいな言葉も胸に響くんだ」 「私も貴方を愛しているので、小さな仕草にすらときめいてしまいます」  夫婦はあたたかく笑い合い、静かに口づけた。  子供たちは見慣れているので、両親のキスを気に留めない。  離れた場所から見守る補佐官だけが、そっと視線を外した。  かつて、領主としての手腕を発揮しはじめたカレルに対し、ラディムは何かが足りないと感じていた。その頃は答えが見出せなかったが、今なら分かる。  自分を幸せにできない領主に、民を幸せにすることはできない。  その最後の鍵を、カレルは手に入れたのだ。  補佐官は窓を離れながら、つぶやいた。 「願わくば、貴方にさらなる幸せを」  それにより、周りも幸せになるのだから。
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