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徳川幕府の第五代将軍綱吉と、鷹司家の深窓の姫君である正室の信子は最初からそりが合わず、夫婦仲は冷え切っていた。
実際、二人の間には、子供はできなかったのである。
綱吉は儒教を信奉する一方で専横政治を敷き、天下の悪法で有名な「生類憐みの令」を出し、犬公方と庶民からも嘲笑されていた。いや、憎まれていたとも言った方が良いであろう。
それだけでも、信子には我慢できない。
綱吉は信子を尻目に男色を好んだ。
さらに、家臣の妻や娘にも手を付ける好色魔であった。
信子は将軍の正室、妻としての誇り、威厳を深く傷つけられていた。
信子は、その前に一人の女でもあった。
事態は、それだけでは収まらなかったのである。
綱吉からのお手付きで柳沢吉保の側室になった染子(そめこ)が、吉里(よしさと)という名前の男の子を産む。
庶民は面白がって、将軍の御落胤と囃し立てる。
実際、綱吉は次期将軍は吉里に決めているという噂も信子の耳に入ってくる。信子が心を病んでいたとしても、不思議ではない。
信子は、我慢の限界を超えたのである。
綱吉を自分の居間「宇治の間」へ呼びつける。
「あの子は、本当に貴男様の御落胤なのですか。」
信子は、鋭く問い詰める。
「お前には関係ないことよ。」
吐き捨てる綱吉に、信子はキレそうになる。
「お世継ぎにするなどとは、もってのほか。徳川の血筋が汚れます。」
これでもかと詰め寄る信子を無視して、綱吉が部屋を出ようとしたとき、
事件が起きた。
信子が隠し持っていた短刀で綱吉の胸を突いたのである。
「何をする。乱心か。」
血塗れで悶絶する綱吉。
そこへ信子の腹心の部下、御年寄が現れ、抑えつけた。
綱吉をである。
「今です。」
その叫び声に、信子は綱吉の胸を深く突き、とどめを刺した。
綱吉の死を確認した信子は、その場で自害する。
その心中は、いかなるものであったであろうか・・・・。
この件は、闇に葬られ、綱吉は麻疹(はしか)が原因で死んだとされていることは歴史の教科書でも習うが、「宇治の間」が「開かずの間」として現代にも語り継がれていることを知る者は少ない。
当然、あの子、吉里は庶民の噂話から消える。その後、歴史の表舞台に立つこともなかったのである。
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