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最近わたしはツイてない。
朝目覚まし時計がならなかった。
急いで起きて家を飛び出したら、突然ゲリラ豪雨。
道を歩けば犬のフンを踏む。
お気に入りのランチメニューは、売り切れていた。
これくらいなら、大したことない。
誰でもある不運なのかもしれない。
でも、昨日は歩いていたら、上から植木鉢が落ちてきた。(故意ではないらしい。あとでマンションの住人が謝りに来た。)
これはひやっとした。
直撃していたら死んでいた。
川沿いの道を歩いていたら、突然地盤沈下して道路が崩れ落ち、川へ転落しそうになった。
なんとか木の枝とフェンスにぶら下がり、事なきを得た。
なぜこんな目にあうんだろう。
わたしは首をひねった。
それでも生きているんだから、悪運が強いんだよと友人に言われたけれど。
わたしはツイてないとばかり考えていたが、逆にそれでも怪我をしてないのだから悪運が強いのかもしれない。
運がいいというか、悪運というか。悪運という響きもなんか気にさわるけれど。まあ、それはおいておこう。
どうしてこんなことになったのか、わたしには全く見当もつかなかった。
ただこの不運がもっとエスカレートしたら、わたしは生きているだろうか。わたしの悪運もこれまでとなるんじゃないか。
そうなったら、どうすればいいのだろう。
わたしはぶつぶつ唸りながら歩いていた。
「おお、そこの若い人、ちょっとここに来なさい」
わたしはビクッとして立ち止まって声の主を探した。
声の主は、建物と建物の間にテントのようなものをたてて営業していた占いのおばあちゃんだった。
――なんだ、おばあちゃんか。
わたしは無視して帰ろうとする。
「近ごろおまえさん運が悪いんじゃないかい?そろそろ命の危険も感じておるだろう」
おばあちゃんはクククと笑った。
無神経な、いやな年寄りだ。
いや、しかし、どうして知っているんだろう。
わたしは不思議に思った。
おばあちゃんのほうをちらっと見る。
いやいや、だめだ。関わり合いになっちゃいけない。
わたしは無視を決め込もうとした。
「話を聞きなさい。若い人。これ、あと数秒待ちなさい」
わたしはじろりとおばあちゃんを睨みつけた。
おばあちゃんはすまし顔だ。
「ほら、見なさい」
交差点に向かって赤い自動車が猛突進してくる。
もうすぐ信号は赤になりそうだ。あの車、止まる気はないのだろうか。
わたしは不安になる。
赤い自動車はそのまま信号を無視して進み、交差点で曲がってきた白いミニバンにぶつかった。
「バーン」
今まで聞いたことのないくらい、破壊的な音がした。
赤い車はスピンしながら電柱にぶつかった。白いミニバンは反対車線まで飛ばされている。
大きな音で人が大勢集まってきた。
「よかったなぁ。あんた、いまわたしが声をかけんかったら、あんたはあれに巻き込まれていたんだよ」
おばあちゃんはまたクククと笑った。
わたしはゾッとした。
「やだ、怖いんだけど……」
わたしはつぶやいた。
「おまえさん、何日か前何かもらわなかったかい?」
おばあちゃんはわたしの顔を見つめた。
「そういえば、小さい子が泣いていたから一緒に遊んであげて……一緒におかあさんを待っていてあげたとき、可愛らしいお人形をお礼にもらったけど……」
わたしは訝しげにカバンの中にしまってあった人形を取り出した。
小さい子は原宿にいそうなゴスロリのような服を着ていた。おかあさんを一人で待っていて心細くなったようで、泣いていた。
とても可愛らしかったのを覚えている。しばらくすると、小さい子はおかあさんを見つけたらしく、「おねえちゃん、ありがとう」といってお人形をくれたのだ。
わたしはもう17歳で大きいし、お人形という歳でもなかったから、人形を返そうとした。
小さい子は首を横に振って、「それ、あげる」と言い張る。
お人形は20センチくらいだろうか。薄茶色の透明な綺麗な目をしていた。小さい子とおなじようなちょっと凝ったレースのついた服を着せられていた。
わたしは「ありがとう」といって、人形をもらった。
小さい子にもらった、その可愛らしい人形を、わたしはたいていかばんに入れておいた。
もしまたその小さい子に出会ったら、返してあげようと思ったからだ。
「それ、それだ」
おばあちゃんがカッと目を見開いた。
怖い、おばあちゃんも怖いよ。
「それ、あんたぁ、生きていたかったらそれを身代わりにしなさい」
「ええええ」
わたしはびっくりした。
「おまえさんは気が付いていなかったようだが、その小さい子は人ではない。妖の子だ。おまえさんが親切だったので、お礼にお妖のものがくれたのだ。その人形は、特別な人形だ」
おばあちゃんが人形を見ていう。
「この人形しか、おまえさんが交換できるものがない。いやならたぶん……」
「たぶん??」
「あの世行きだ」
おばあちゃんはまたまたクククと笑った。
わたしはドキッとした。
「おまえさんが生き残るには、もうこれしか方法がないね」
なんとなくおばあちゃんの言っていることがわかった。
命がつきようとしている。何者かがわたしの命を狙っている。なんといえばいいんだろう。もうヤバいって感じをわたしは肌で感じていた。
「どうすればいいんですか」
わたしはおばあちゃんに聞いた。
「いいかい。このあとすぐ辻を探しなさい。人のいない、人の通らない辻だよ」
「辻って……なんですか」
「辻もわからないのかい。若い人というのは……最近ではスマホとやらで調べればすぐわかるんじゃないのかい?」
おばあちゃんの目は笑っていた。
「えええ」
わたしが動揺しているのを見て、おばあちゃんは楽しそうだ。
「辻とは交差点だよ。辻は人でないものが通る時間がある。おまえさんは辻にその人形を置きなさい」
わたしはうんとうなずいた。
「いいかい。今日、今すぐやらないとあの世行きだよ。すぐに人のいない辻を探すんだ、わかったね」
わたしは人形をぎゅっと抱きしめながら、うなずいた。
「さあ、行きなさい!」
おばあちゃんがそういうので、わたしはしかたなく再び歩き始めた。
おばあちゃん……
わたしは気になって後ろを振り向くと、占いの店はなくなっていた。
わたしは全身鳥肌がたった。
まずい、まずい。これは絶対まずいケースだ。
わたしは一生懸命考えた。今までこんなに頭を回転させたことはないだろう。
どこなら、どこならいいんだ。
わたしはここから近いところにないか、考えはじめた。
ふと顔を上げると、坂道があった。登り坂だ。今から山の方へ向かう人は誰もいなそうだった。
わたしは速足で山へ向かった。
辻、辻、辻。交差点、交差点。
どこ? どこにあるの?
その道はほとんど一本道だった。
山へ山へ向かって歩く。
すると小さな辻を見つけた。
わたしはお人形を辻におかなければならなかった。
ごめんね。あの子に返せなくなっちゃった。
置いたらこの子、どうなるんだろう。
わたしは人形を最後に抱きしめた。
それから後ろ髪ひかれながら、人形を置いた。
人形の目がキラキラしたような気がした。
このまま山と街の境にいても仕方ない。
それに人に見られないようにしないといけないのだ。
わたしがこのままここにいたら、不審に思った人が寄ってくるかもしれない。
日が落ちはじめていた。
赤い光が少し暗くなってきた空を照らす。太陽は最後までオレンジ色に光っていたが、灰色の雲が少しずつ太陽を包み込んでいく。
美しい夕焼けだった。
わたしはほんの一瞬だったけれど、夕影に見とれた。
もうすぐ夜がくる。
わたしの身体が突然ざわついた。全身鳥肌が立っている。
何かが起きそうだと告げていた。
わたしは駆け出した。
一生懸命走った。
息がまともにできないくらい走って走って、街へついた。
後ろを一回も振り向かなかった。
怖くて振り向けなかった。
ほんの一瞬、人形から離れるのが遅かったら……
あのとき、辻に人形を置けなかったら……どうなっていたんだろう。
わたしは後ろを振り返ることはできなかった。でも……目の端で、黒い影が人形に襲いかかっていくのが見えた。
あれがわたしにツイていたやつなんだろうか。
わたしはまだとりあえず生きている。
街の灯りがこれほどまでうれしいものだと思ったことはなかった。家路に向かう人混みが心強かった。
わたしは無事家に帰れた。帰り道、あの占いの店をもう一度探したが、やはりなかった。
あの占いのおばあちゃんが何者だったのかはいまもわからない。
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