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「男じゃないか?」
大学からの友人と飲みに行ったとき、彼女の謎の行動について話すと、友人はあっさりとそう言った。
「男?」
僕は思わず眉を顰めて、聞き返した。
そんな僕を友人は面白そうに見て、続ける。
「昼休憩に会おうと、駅で男と待ち合わせしてたんじゃないのか」
弾んだ足取り。確かに最初から思い当たらなかったのが不思議なくらい、当然の推理だ。しかし、僕はピンとこなかった。
「でも、俺が金を下ろして、コンビニに寄って帰ったら、もう席で仕事してたんだぜ。彼氏に会うのに、そんなにすぐ戻って来るかな」
「一目だけでも会いたかったとか」
僕の顔を観察しながら、友人はニヤニヤして言った。
「……」
彼女の謎を解くミステリーから、急に恋愛ドラマのようになって、僕は困惑していた。
「そんなに気になるなら、訊いてみろよ」
「なんて?」
友人は吹き出しそうになるのをこらえるような顔で言った。
「昼休憩に駅に何しに行ったんですか」
僕は呆れた顔で友人を見た。
「それじゃ、ストーカーだろ」
「だな」
友人は涼しい顔で、ビールのジョッキを傾けた。
それから僕は、彼女が外出する時を待っていた。しかしこの二週間で、彼女が外出したのは一回。それは、この間の僕と同じように、ATMに行っただけだった。それ以外は昼食を買いにも出ない。彼女はお昼には弁当を持参しているようだった。
その唯一の外出の時、僕は嬉々として、彼女の後をつけていった。自分でもそれが、気づかれるとまずい行動だと分かっていた。それでもその後ろめたさに上回る好奇心で、僕はある意味覚悟を決めて彼女の後をつけた。ばれてもいい覚悟ではない。自分がそういう行動をする覚悟だ。
それなのに、彼女は最寄りのATMから出てくると、躊躇することなく社に戻っていった。
もちろん弾んだ足取りなど見られない。いつもの彼女の秩序ある足取りだ。
僕は勇んだ分、大いに脱力した。僕の覚悟はなんだったのか。
それから何事もなく日々が過ぎ、あれは幻だったのかと思い始めた。僕自身も毎月の締めが近づいてきて、のん気に彼女を観察するわけにはいかなくなったのもある。
そんな中、その時は突然やって来た。
「あれ?」
その日は取引先の部長の長話に捕まって、社に帰るのが遅くなった。車をとめ、ビルを見上げると、ほとんど明かりは消えていた。それはそうだ。もう九時をまわっている。
ため息をつき、裏にある通用口へ向かおうとすると、そこからすごい勢いで出てきた人がいた。
彼女だ。
彼女は僕に気が付かなかったようだ。というか、恐らく周りは見えていなかっただろう。ただ、前を向いて、猛然と歩いていく。暗くて顔は見えなかったが、その鬼気迫る雰囲気は、表情がみえなくても十分に感じられた。
少し書類を片付けて帰ろうと思ったのだが……迷ったのは一瞬だった。僕は彼女の後をついて行った。
彼女は先日見かけたときと同じく、地下鉄の駅に下りていった。
やはり男なのだろうか?
しかし彼女の足取りは、弾んではいなかった。重たいブーツでも履いているかのように、ドスドスと歩いていく。
彼女は地下鉄に乗った。僕も何食わぬ顔で乗った。やはり彼女は気づく様子もなく、宙の一点を睨んでいる。
やっと明るいところで彼女の顔を見ることが出来たが、彼女の眉間にしわが寄りそうなほど、険しい顔をしていた。
三駅目で彼女が降りたので、僕も気づかれないように人に紛れて降りた。難しいことではなかった。降りる人が多かったからだ。
夜の繁華街。この時間でも、いや、この時間だからこそ、人に溢れている。
駅を出て、彼女は歩き出した。
僕も慌てて後を追う。
店を探している様子もない。スマホを見るでもない。
ただ、人の間を縫うように、彼女は颯爽と歩いていく。
次第に、彼女の足取りが軽くなってきたような気がした。ドスドスからスタスタ、そして弾むようにポンポンポンと。
こんな人ごみの中を、彼女は人にぶつかることもなく、スピードが落ちることもなく、泳ぐように歩いていく。
気持ちよさそうだな。
後ろから汗だくになってついて行きながら、僕は歩く彼女の後ろ姿に見とれていた。
でも声はかけなかった。今、声をかけてはいけないと思ったからだ。
やがて彼女は満足したのか、駅に戻り、電車に乗った。彼女の鬼気はすっかりなくなり、穏やかな空気が流れていた。
彼女が降りたのは、再びわが社の最寄り駅だった。僕は駅を出ると、少し考えて、コンビニに寄った。
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