仮入部

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「入部してくれてありがとう」  結団式を終えた後にそう言ってきたのは中学のときの先輩・小泉だった。 「ありがとうじゃないですよ。僕正式入部なんて……」  北川がそこまで言ったところで小泉は右手のひらを顔の前に突きつけた。 「お前の言いたいことは分かる。でも先入観をなくして1年頑張ってみてくれ。な?先輩と後輩の仲だろ?」  小泉はそう微笑みかけてきた。 「でもこんなやり方……」 「俺も同じやり方で入部したんだよ。でもこうして毎日楽しく練習してるんだ。全国大会にも出られたし。だから騙されたと思って、な?1年……いや、半年だけでいいから」  小泉は再度北川の声を遮り、手を合わせて軽く頭を下げる。北川は渋々首を縦に振った。  練習時間は1〜2時間という約束が守られたのは入部から1ヶ月の間だけだったし、年末年始以外の休みは無いに等しく、テスト期間中ですら練習は行われた。そして格安の遠征費用の裏にあった『自爆営業』……すべてが反故にされたとは言わないが、ほとんどの謳い文句に裏があった。 「本当にその部活、続けて大丈夫なの?」  当時付き合っていた桜も心配になって何度かそう尋ねたくらいだったし、 「やめることも考えていいと思うぞ」  親友の斎藤もそう助言した。  顧問であり指揮者の瀧口も決して一筋縄でいくタイプではなかった。良くも悪くも教育者というよりは芸術家と言った方がしっくり来るタイプで、怒りの沸点があまり高くなかった。部員の3割が文化祭の下準備に駆り出さて出席率が7割を下回ったときには 「こんなに少なかったら練習にならんだろ!」  と怒鳴り、譜面台を蹴飛ばした。そのできごと以来、各パートリーダーには遅刻者と欠席者のすべての理由を把握し、瀧口に報告する義務が課されることとなったくらいだ。バスケットボールをしていた頃とは全く違う、精神面に負荷のかかる心地よくない疲れを感じる日々が続いた。合唱を聴くこと自体はそこまで嫌いなわけではない。しかし北川なりに努力はしたものの合唱を『演奏する側としての楽しみ』は全く実感することができないまま半年が過ぎた。 ーー小泉先輩への義理は果たした。今年の全国大会が終わったらもう退部しよう。  北川はそう腹を決めた。部活のスケジュールが忙しすぎて桜にもだいぶ寂しい思いをさせている。その上これだけのデメリットが並んでいるのだ。続ける理由は見当たらなかった。また、3年生が秋口になっても引退せず全国大会を目指している目の前の状況にも恐怖を覚えた。引退が11月となると、大学入試までの本格的な準備期間は2ヶ月と少ししかない。この現実はいずれは北川に降りかかってくるものだ。  1年生の全国大会の当日。北川は学ランに人知れず退部願の入った封筒を忍ばせていた。発表を終えた後も北川はただただホッとする気持ちを覚えただけで、達成感などは微塵たりとも覚えなかった。そんな北川の前には大会を終えた開放感から一点の曇りもない秋晴れのような笑顔を浮かべている部員達の姿があった。 「おーい!皆、聞いてくれ!」  田辺が部員達に声をかけると、全員が田辺の周りに集まってきた。 「これから、3年生の引退に伴う来年の役職人事を発表します」  全員から歓声が沸き起こった。出版、会計、渉外、企画といった裏方作業のメンバーから順番に名前の発表がなされていく。こんな状況で役職になんて選ばれたらたまったもんじゃない。北川は祈るように下を向いた。 「セカンドテノール・パートリーダー。北川幸則」  無情にも北川の名前は呼ばれてしまった。 「おめでとう!」 「期待してるぞ!」 「さすが北川!適任だ!」  上級生の拍手と声援がとてつもなく恐ろしいものに感じた。 「あの!」  役職発表の直後、北川は小泉に声をかけた。小泉は北川の肩にポンと手を置き、 「みんなが期待してる。何かの縁だと思って頑張れ!」  とだけ言い残して足早にその場を去ってしまった。  こうして北川はたった1枚の仮入部届からズルズルと部内に引きずり込まれ、パートリーダーにまで仕立て上げられてしまったのだ。 「みんなが期待してる」 「適任だ」  こう言う人たちに答えるべく今までいろんなものを犠牲にして部のために尽くしてきたという自負が北川にはあった。しかしその期待というのは建前であり、部員を減らさないための駒としてしか見られていなかったことをたった今、知ってしまった。 「縁あって入部したんだろう?」 「何かの縁だと思って頑張れ」  岩田の言葉、小泉の言葉が北川の頭の中でリフレインしてきた。 ーーこんなのは、縁でもなんでもない。  北川の涙腺から不意に一粒の滴がこぼれてきた。
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