旅行を諦めた訳

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旅行を諦めた訳

「それではミーティングを始めます。連絡事項のある人!」  その日の全体練習終了後のこと。北川と同じパートの先輩であり部長の田辺がそう告げると、会計係の小泉が手を挙げる。 「定期演奏会も間近になりました。ノルマの納入は今週末までです。よろしくお願いします」  北川は思わず目を閉じ、難しい顔になった。  北川が通っている寒椿高校では生徒のアルバイトは学校が認めた場合以外は禁止されている。その中で北川は「営業ノルマ」を課せられていた。営業の種類は2つ。1つは定期演奏会のパンフレットに記載する地元企業の広告の営業、そしてもう1つがチケットの販売だ。広告は1枠5000円の広告を8枠、チケットは1枚500円のものを80枚。広告料の4万円とチケット代の4万円で、合計8万円分の『売上』をあげ、部に納入することが課せられている。余った分は自分の貯金やお小遣いからお金を出さないといけない。補填を強いられるのだ。  毎日夜遅くまで自分の練習のみならず後輩の指導までしないといけない北川にとって、広告活動や販売活動に割ける時間は極めて限られる。北川は学校の休み時間も友達に声をかけ続け、寸暇を惜しんで販売活動をするが、そう簡単に売れるものではない。1枚500円という価格はアルバイトができない寒椿高校生にとっては安い金額ではないからだ。それに男声合唱は高校生の娯楽としてはややマイナーな部類に入る。好き好んでお金を出してでも聴きに行こうという人は、限られる。  もっとも、他校の合唱部のメンバーに販売するという手段も考えることはできる。合唱部のメンバーにとって他校の合唱を聴くことは趣味、研究、いずれコンクールでライバルになる相手の敵情視察と、得るものは大きい。  しかし実際問題難しいのだ。ほとんどの場合その「他校」が定期演奏会を行うのも夏休みの時期。となると追い込みの時期や本番の日程と重なるためその時期は自分のことで手一杯。他の合唱部の定期演奏会に足を運ぶことはそう簡単にできなかったりするのだ。それで去年も今年も恋人……であった桜に泣きつきチケットの販売を手伝ってもらったのだが、それでも2人合わせてギリギリ20枚30枚捌けるレベル。ノルマの80枚には程遠い。  広告の営業も難儀だ。昨年広告を出してくれた企業への挨拶回りは勿論のこと、街の薬局や個人の病院、不動産屋など飛び込みの営業も行う。しかしこれもなかなか反応は良くない。商店街にはシャッターが降りたままの店もちらほらと出てくるような景気で、広告費まで捻出できる企業はそれほど多くはないのだ。北川が取れた広告の件数は5件。チケット代を合わせても北川は4万円の自腹を免れることはできなかったのだ。 「桜、ごめん……本当にごめん……」  1ヶ月前。雨がザァザァと降る中で、旅行に行けない旨を伝えたとき、北川は朝霧と目を合わせることができなかった。そして今週末でそのお金が「自爆営業」のために、飛んでいく。ゲームも我慢し、デート代も節約し、新しい服も買わずに貯めていたお金が、あっさりと飛んでいく。 ーー僕が本当にしたかったのって、こんな高校生活だったんだろうか?  北川は一瞬、そう自問自答した。しかしそれもすぐに消え去る。  居残り個人練習の時間が、すぐそこに迫っているからだ。
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