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喜べない成功
定期演奏会の本番の日、市民ホールのステージは7割近くが埋まっていた。
「これだけのお客さんが来てるんだ!恥ずかしい演奏はできないぞ!」
舞台袖でそう息巻く部長・田辺のことを北川は冷めた視線で見つめていた。
ーーいいから早く終わって欲しい。
北川の願いはただただその一点だけだった。真夏なのにステージ上では学ランを羽織らないといけないということもその気持ちを助長させていた。
緞帳が上がり、盛大な拍手が部員達を出迎える。ステージに整列をし終えた後、顧問でありコンダクターである瀧口が指揮台へと上る。燕尾服を身にまとい蝶ネクタイをつけた瀧口が舞台に向かって頭を下げると、再度ホールは拍手に包まれた。
1つ目のステージでは男声四部合唱のためのミサ曲傑作選。協和音を正確に刻み倍音を響かせ、神聖な雰囲気を出す必要がある。そのためにはドとドのシャープの間、それこそ32分の1音単位の微々たる狂いも許されない。また、普段全く使うことのないラテン語の歌詞であり、その発音も変に日本語なまりがしないような鍛錬が求められた。
練習の成果は確かに現れていた。フレーズの起伏も丁寧に表現でき、和音の狂いも見られず、共鳴した倍音がホールを包み込んでいる。3曲すべてを演奏し終えたとき、客席からは自然と拍手が沸き起こっていた。
1つ目のステージが「洋」なら、2つ目のステージは「和」だ。演目は合唱組曲「富士山」。富士の持つ魅力を5つの曲にまとめ上げている男声合唱の定番組曲だ。ときには美しく穏やかに、そしてときには力強さを全面に押し出す演奏は確かに聴衆を圧倒していた。
最後のステージは例年、秋に控えた大会を視野に入れた難しめの曲が演奏される。今年演奏されたのは組曲「遠い国」だ。惨たらしい戦争の様子を描き、戦禍に巻き込まれていく兵士の心情を生々しく吐露させることで反戦というメッセージを際立たせている。勇ましさと苦しさ、そして切なさに溢れた歌詞が乗せられた響きは聴く者の琴線に間違いなく届いた。カーテンコールを終えたとき、ホールの中の聴衆は皆、メンバーに割れんばかりの拍手を送っていた。
「やったな」
「最高のデキだったよ」
3年生達が皆で盛り上がっている中、北川は誰にも気づかれないようにボソリと呟いた。
ーーやっと終わってくれたよ。
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