座敷童子がいるとしたら。

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「見てくださいよ、なんかすごいファンタジーなの来ましたよ」  プリントアウトしたメールの一枚をこちらに差し出しながら、長門くんが言った。  ここはローカルFMラジオ局の一室だ。うちのラジオ番組のコーナーの一つが「あなたのヒミツ、暴露しよう!」。リスナーから大小様々な秘密を募り、パーソナリティーのタクさんこと渡辺卓也の軽妙なトークで紹介するという週一のコーナーだ。  このコーナー、意外にと言っては何だけど、なかなか人気がある。投稿はメール、FAX、郵送で受け付けているが、毎週結構な数の投稿が来ている。みんな、言えないけれど誰かにぶちまけたい秘密を持ってるんだな、と見るたびに思う。SNSだと思った以上に拡散されてしまったり、ずっとネット上に残っていたりするので、ラジオ放送に吐き捨てることを選ぶのかも知れない。  しかし、時効になってなさそうな犯罪告白とかのガチなものはさすがに電波に乗せることは出来ないので、タクさんを含めた僕らスタッフがチェックした上で採用するネタを決めているのだ。 「ファンタジー? どういうこと?」  森谷さんが訊いた。 「まあ見てくださいよ、これ」 「どれどれ……」  僕らはみんなでラジオネーム〈ユミ〉さんからのメールを読むことにした。      ◇  タクさん、こんにちは。  突然ですが、わたしの家には座敷童子がいたことがあります。  わたしが小学校一年くらいの時でした。その頃、わたしの家では小さな焼き鳥屋をやっていました。ほそぼそとやっていた店でしたが、ちょうど近くに大きな炭火焼きの店が出来て、今から思えば客足は減っていました。  メニューを増やしたりサービス券を出したりと、父は色々工夫していたようですが、効果はなかったようです。  両親の店は表通りから少し奥まった所にあり、立地が悪いことも影響したんじゃないかと、今は思います。  その頃、店以外の所では、父も母もいつも暗い顔をして話をしていました。  そんなある日、学校から帰ると、いつもは物置代わりにしている小部屋から物音がするのに気づきました。  母かと思いましたが、母は台所で夕飯の支度をしていましたし、父は店で仕込みの準備をしていました。他に家族はいません。 「誰かいるの?」  わたしはそっと小部屋のドアを開けてみました。  ……薄暗い部屋の中、何か小さい影がありました。日本人形を抱いた、一人の女の子。歳はわたしと同じくらい。少し小さくなりかけたブラウスとスカート姿で、ちょこんと座っていました。  知らない子がいたことでわたしは驚いて、バタンとドアを閉めて母の所に走りました。 「お母さんお母さん! 知らない子がいる!」  わたしの言葉を聞いて、母は困ったような顔をしました。 「そんな子、いるわけないでしょ」 「いたんだよ! 見てよ!」  お母さんは小部屋のドアを開け、中に入って行きましたが、すぐに出て来ました。 「誰もいないわよ。バカなことを言っていないで、早く宿題をしなさい」  ちらっと見えた部屋の中には誰かがいたような気もしましたが、よくわかりませんでした。お母さんには見えていないようでした。  その夜も、夢うつつの間に両親が深刻な声で話をしているのを聞いた記憶があります。「これからどうするの」とか、「親は子供が可愛いもんだよ」とか、そんなことを言っていました。  わたしは何となく、「ああ、お店はもうダメなのかな」と思ったことを覚えています。今から思い返してみても、その頃が一番うちの中がギスギスしていた時期でした。  翌日も、家の中に誰かがいるような感覚がしていました。知らない間に冷蔵庫の中のものが減ってる気がしたり、トイレやお風呂を誰かが使ったような気がしたり。  それが自覚しないうちにストレスになっていたのか、次の日、わたしは学校から帰ってから何だか眠くなって、自分の部屋で横になって寝ていました。両親は何かの用事で留守にしているようでした。  どれだけ時間が経ったでしょうか。  ふと気づくと、わたしの顔を誰ががのぞき込んでいました。小部屋で見た、あの子でした。  ……ああ、これは夢だ。何となくそう思いました。 「あんたはいいね、優しいお父さんとお母さんがいて」  その子は言いました。 「ちまちゃんがね、お礼を言った方がいいって」  ちまちゃんというのは、日本人形の名前のようでした。 「イッシュクイッパンのオンギだって、ちまちゃん言ったから。置いてくれてありがとう。ちまちゃんからもお礼するって」  その子の言葉を聞いているうちに、わたしは再び眠くなっていました。  目が覚めると、辺りは暗くなっていました。あの子はいなくなっていました。その日は父はどこに行っていたのか帰りが遅くて、店は臨時休業になりました。でも何となく母が安心したような顔をしていたように思います。  その時以来、家の中に誰かがいるような感覚はありません。店は結局閉めてしまいましたが、父はすぐに知り合いの伝手で他の料理屋の厨房に入ることが出来ました。  本当にあったことかどうか自分でも自信がありません。それからは何もおかしなことはないし、家族みんな平穏に暮らしています。近々、わたしが結婚して家を出ることになったので、何となく昔のことを思い出してメールしてみました。  タクさんには、不思議な体験みたいなことはありますか?      ◇ 「ファンタジーつーか、オカルト? ホラー?」  投稿メールを読み終えたタクさんが言った。 「ほんと、ちょっと不思議な話ですね」  森谷さんも言う。 「こういう実際にあった怖い話系の、面白くないですか?」  長門くんは採用する気満々だ。 「俺は別に何でもいいよ、読めって言われたらさ。……シゲちゃんはどうなの?」  タクさんは僕に振って来た。僕の「繁」という名前から、タクさんは僕を「シゲちゃん」と呼ぶ。  皆の視線が、ディレクターの僕に集まった。  その日の打ち合わせが終わり、僕はタクさんに居酒屋に誘われた。個室に陣取り、とりあえずビール。程なく、注文した料理が運ばれて来る。 「……シゲちゃんさあ、なんであの話ボツにしたの?」  野菜スティックのキュウリをかじりながら、タクさんが僕に訊いた。 「え?」 「ほら、あの座敷童子の話。あれ、普段のシゲちゃんなら採用してるとこだろ。あれを読んだ時から、シゲちゃんなーんか態度変だしさ。なんかあんのかなーと思って」  タクさんとはそれなりに長い付き合いなだけあって、ぎこちない態度を見破られてしまったらしい。今更ごまかそうとしても無駄だろう。 「ヒミツがあるんならさ、暴露しちゃった方がいいかもよ。新コーナー、『シゲちゃんのヒミツ、暴露しよう!』……なんつってね」  タクさんはおどけて見せた。多分、タクさんはタクさんなりに僕に気を使っているのだ。  ──誰にだって、秘密の一つや二つ、持っている。それは、僕も例外ではない。 「……子供の頃、僕の妹が誘拐されたことがあるんです」  僕は語り始めた。      ◇  僕が小六の頃だから、もう二十年ほど前になります。妹は小学生になったばかりでした。  その頃僕の父は、炉端焼なんかの店を何店か経営する社長でした。父は典型的な仕事人間で、仕事のためなら家庭を顧みないタイプの人でした。  当時、父は事業を拡大しようと必死になってました。──ええ、投稿にあった近くの炭火焼きの店って、父の店です。今でこそ言えることですが、かなり悪どい手で事業を拡げていたようで、そのせいで近隣の小さい店がかなり打撃を受けていたようです。  母は、そんな父にとっくの昔に愛想をつかしていました。父に顧みられない孤独を、外に求めたんです。そう、母は不倫に夢中でした。相手は若い男だったようです。もう自分の家庭のことなんか考えられないくらいでした。  そして、二人の子供である僕と妹は、夫婦の問題に否応なく巻き込まれる羽目になりました。  父はどうも『自分の息子は優秀でなければならない』という妄想に取り憑かれていたようで、僕に分不相応な名門中学に入学させようと毎日勉強を強いていました。僕をいい学校に入れることで、母を見返そうとしていたようにも思います。……父は、なんて言うか、母の実家の方が自分の家より格が上だというコンプレックスを抱いてた節があるので。  大変でしたよ、毎日毎日塾とか習い事とかやらされて。お受験に役立ちそうなことは、一通りやらされてたんじゃないかな。僕は父が期待するほどには出来る子じゃなかったから、余計にキツかったし。  ──でも、僕はまだ良かったんです。少なくとも、勉強さえしていれば父にはかまってもらえてましたから。かわいそうなのは妹でした。長男にしか興味のない父と、家族そのものから興味を失ってしまった母。その両方から、妹は放って置かれていたんです。  出来る限り、僕が妹の面倒を見てました。でも僕も塾とかで忙しかったし、子供だけで出来ることにも限界がありました。  ……そんなある日、妹は家からいなくなってしまったんです。  父は妹を探そうともしませんでした。子供は僕だけがいれば十分だと言うかのような態度でした。母もお構いなしに男の元に通っていました。  翌日、ポストに脅迫状が入っているのが見つかりました。「おまえの娘を預かっている、返して欲しければ身代金を払え」というようなお決まりの文句でした。妹に書かせたもののようでしたが、そのせいで父は妹のいたずらだと思ったようです。  僕は塾をサボり、自分の持ってるありったけのお金を持って、脅迫状に指定されていた場所に行きました。もちろん、小学生に用意出来るお金なんて小遣い程度で、身代金には遠く及びません。それでも、お金を払わないよりはマシだと思って。  妹を連れてやって来たのは、中年のおじさんでした。思ってたより実直そうな人だな、と感じたのを覚えています。  妹は、大事にしていた人形を抱きしめていました。三歳の桃の節句に母方の祖母からもらった日本人形で、当時の妹の唯一の友達でした。  僕が持って来たお金を差し出して、「父も母も来られません、このお金で妹を返してください」と言うと、おじさんは泣き出しました。「いくら金に困っていても、子供の小遣いを取り上げるようなことは出来ない」「親が子供を見捨てるようなことをするなんて」と言って。  そのまま僕らはおじさんに連れられて、児童相談所に行きました。家出した僕ら兄妹を保護したということにして、両親のネグレクトを訴えたんです。  色々ありましたが、結局ネグレクトが認められて、妹は母方の親戚の元で育てられることになりました。  妹が家を出てからすぐ、両親は離婚しました。母は不倫相手の元に行きましたが、すぐに上手く行かなくなったようです。今は母は一人で暮らしているそうですが、僕らの所には顔を出しません。  父は相変わらず仕事ばかりしていましたが、妹が家を出た直後くらいに、経営している店の一つで大規模な食中毒を引き起こしてしまいました。それが影響し、系列の全ての店で客足がガタ落ちしたんです。  それがきっかけで、店を出す時のあこぎな手口が大々的に報道されたり、労働基準法違反で従業員を働かせていたことが告発されたり、たちの良くないバイトが調理器具や食材で遊んでたことがバレたりして、坂を転がり落ちるように父の会社はジリ貧になって行きました。  会社が倒産するまで、そんなにかかりませんでしたよ。父は独善的な性格だったから、手助けするような人もいませんでしたし。今は父は老人ホームにいますが、親しい人もいないようですね。  妹は一昨年結婚して、子供も生まれてます。育ての両親も旦那さんも義理のご両親もいい人ばかりで、あの時とは正反対の明るい家庭を築いてますよ。      ◇ 「ふーん……」  タクさんは、塩ゆでの枝豆をつまみながら僕の話を聞いていた。 「つまり、メールを出した〈ユミ〉さんの父親がその時の誘拐犯のおじさんってことか。で、座敷童子がシゲちゃんの妹さんだったと」 「だと思います。あの時妹が持っていた日本人形、ちまちゃんという名前だったんですよ。妹はいつもあの人形といて、人形と会話するようにして遊んでいました。人形をちまちゃんと呼んでいたのなら、間違いないでしょう」 「きっと〈ユミ〉さんの母親もグルだったんだな。娘を犯罪に巻き込みたくないから、部屋にいた妹さんをいないと言い張った」 「恐らく、そうでしょうね」  〈ユミ〉さんの両親が、どういう経緯で誘拐に至ったのかはわからない。自分達の店を窮地に追い込んだ社長の娘を最初から狙って誘拐したのか、偶然家を出た妹を見かけてとっさにさらって行ったのか。  いずれにしろ、この人達は誘拐なんて大それたことが出来る人達ではなかったということだ。妹によれば、誘拐されている間も娘さんの目を盗んでご飯を食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったりしたそうだ。何より、僕らの事情を聞いて、僕らを助けるために動いてくれた。  そんな人達にとって、過去に自分達がしでかそうとした事件のことなんて、あまり思い出したくない記憶だろう。娘さんが投稿して来たということは、まだこの近辺に住んでいるんだろうし、ラジオの電波に乗せてしまえば当人達の耳に入る可能性はゼロではない。 「なるほどねえ。……だけどさー、シゲちゃん。このメールがあったってこと、知らせた方がいい人がいるんじゃないの? 少なくとも一人はさ」  子供の頃、誘拐という形でかくまってくれたおじさんおばさんも娘さんも、元気でいるよと──当事者である妹に。 「仕事上で得た秘密は、外に漏らしちゃダメでしょ。コンプライアンス的に」 「別にメールの内容を詳しく話せって言ってんじゃないよ。あの時世話になった人達がどうやら今も元気でいるらしい、ってくらいでいいだろ」 「……そうですね……」  僕は焼き鳥を口にした。タレの味が絶妙で、結構うまい。あのおじさんが作ってた焼き鳥も、こんなにうまかったんだろうか。タクさんは焼き鳥には手をつけず、長芋のバター焼きを食べつつ呑んでいた。 「もし、この話に座敷童子がいたとしたらさぁ」  タクさんは一人でしゃべっている。酒が回って来たらしい。 「やっぱ、シゲちゃんの妹さんって座敷童子だったんじゃないの? 座敷童子って、居着いたら家が栄えるけど、出て行ったら没落するんだろ。妹さんがいなくなった途端にシゲちゃんの両親とも没落してんじゃん。せっかくの座敷童子を、自分から手放しちゃったんだよ」  タクさんの戯言を聞きながら、僕は久しぶりに妹に連絡してみようか、と考えていた。      ◇ 「さぁ、今週も始まりました、『あなたのヒミツ、暴露しよう!』。お相手は私、タクさんこと渡辺卓也がお送りします。今週はどんなヒミツが寄せられてるんでしょうか?」  兄が担当しているラジオ番組をBGMに、わたしは家事をこなしていた。 「だぁ」  まだ一歳にもならない息子が、ベビーベッドの中で声を上げた。その視線の先には、戸棚に飾っている日本人形のちまちゃんがいる。息子は時々、こうしてちまちゃんに向けて声を上げる。まるで、ちまちゃんと話でもしているように。  ──そういえば、昔はわたしもちまちゃんと話をしてたっけ。  まだほんの小さい頃から、小学校に入ったばかりの時期くらいまで。わたしは、ちまちゃんと話をしていた……ような気がする。多分、イマジナリーフレンドのようなものだと思うけど、両親から顧みられなかったわたしにとって、ちまちゃんが唯一の話し相手だった。  転機になったあの日。ちまちゃんがわたしに言ったのだ。  ──この家から出たいの。外に連れて行って。  ──家を出たら、声をかけて来た人について行って。悪いことにはならないから。  ちまちゃんが家を出たいと言ったのは、きっとわたし自身の願望だったのだろうと思う。  外で出会ったおじさんの「お父さんが事故にあった、お嬢ちゃんに会いたがっている」という言葉は明らかに嘘だとわかってたけど、それでもついて行った。おじさんもその家族も根は悪い人ではなくて、その結果、わたしは両親から離れることが出来た。  運が良かったのだ、ということはわかっている。殺されたりひどい目に合ったりすることの方が普通だ。  成長するに連れ、いつしかちまちゃんとしゃべることは出来なくなった。今ではちまちゃんはただの日本人形だ。妖精とか座敷童子とかそういうものがもしいるとしたら、きっと子供の想像力と感性だけがアクセス出来るものなのだ。  息子がぐずった。おむつの替え時だろうか。  そのうちこの子も、ちまちゃんと話をするようになるかも知れない。そしたら、わたしは見守ってあげよう。そう思いながら、わたしは息子を抱き上げた。
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