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第四話 東と海~その4
――日曜午後17時に初練習終了。
前に海と二人で入った横浜西口側にあるクラウドナイン。
メンバーとの顔合わせは特に何もなく、練習自体も問題なく終わる。
ベースとドラムの人は、予定があるらしく練習後に帰っていった。
その二人も俺と同じように羊くんの紹介らしい。
年齢はベースの人がひとつ上で、ドラムは同い年。
二人とも海や俺とは違い、既婚者でそれなりに社歴の長い正社員だそうだ。
まあ、30歳を超えているんだ、当然だろう。
むしろこの年齢でフラフラとフリーターをしている俺たちがおかしい。
そして予定のなかった俺と海は、夕食も兼ねて飲みに行くことにした。
前と同じチェーン店の安居酒屋だ。
海は店内に入ると、楽器やら荷物を置いて電話をしてくるとその場からいなくなった。
俺は待っている間に、読みかけの本――ア―ヴィン·ウェルシュの『フィルス』を読む。
映画『トレインスポッティング』などで有名なった作家の小説だ。
フィルスとは英国の俗語で“警察”の意味で、主人公の悪徳刑事ブルース·ロバートソンの話。
この鬼畜ポリ公であるスコットランド人は、妻に逃げられ、昇進さえすれば戻って来ると思い込んでいる。
孤独と重圧に耐えきれなくなった彼は、自分に妻を同化させ、女装して街中を徘徊するようになってしまう。
……他人事ではない。
何故ならば女装まではいかないにしても、俺自身も死んでしまった人の格好をして出かけることがあるからだ。
それにしても、ア―ヴィン·ウェルシュはスコットランドの未来のない人間を描くのがうまい。
それはきっと彼自身がそうだったからだろう。
「なんだ、先に注文して飲んでいればよかったのに」
海が戻ってきた。
少しだけ申し訳なさそうにしている彼女は、店員を呼んでコーラハイボールを二つ注文する。
俺も海もコーラ系のお酒しか飲まない。
それは互いに、亡くなったモーターヘッドのベース·ボーカル――レミー·キルミスターの影響だ。
ここ最近一緒にいて思うのだが、この刺青とピアスだらけの上下黒女は、俺の分身なんじゃないかと思うほど好きなものが同じだ。
昔、二十代にバンドをやっていた頃――半年だけ付き合った人に女がいたが、これだけ人間的に近いのはその人以来だった。
ただ、海と俺の違いは――。
「ねえ、今日はなんでそんなダサい格好してるの? 前はもっとカッコよかったじゃん。タイトな感じの上下黒でさ」
「こないだは急に呼び出されたから、まともな服を着て来れなかったんだよ」
「なにそれ? まともな服ってなによ?」
「言ったままだよ。まともは普通ってこと」
「そのダサいチノパンとチェックのシャツが普通なの? カート·コバーンになり損ねた日本人よりダサい」
海は煙草に火をつけて、怪訝な顔をしながら紫煙を吐き出す。
俺も同じような顔をして煙草を吸い始める。
「普通ねえ~。あたしもそんな時期あったけど、いまは気にしなくなったよ」
こんな我の強そうな女も、普通になろうとしたことがあったのか。
その事実が信じられなかったので、その話を深く聞いてみたくなった。
「へえ、君がね。じゃあその時期は今みたいな恰好じゃなかったんだ」
「うん、羊くんの彼女に服選んでもらったり、合コン行って男に気に入られようとしたり」
「意外だね、そんなタイプには見えない」
それから、頼んでいたコーラハイボールが来た。
俺と彼女は「お疲れ様」と軽く乾杯をして話を続ける。
「そんときにさ、連絡先交換した男がいて。そのあとに何度かゴハン行って、まあ最終的にラヴホ行ったんだけどさ」
海は、来たばかりのコーラハイボールをグビグビ飲んでいき、あっという間に飲み干した。
いきなり節操のない話をする彼女の前で、俺はチビチビと自分のペースで飲んでいる。
「刺青見て、引いちゃってさ。あたし、それで冷めちゃって途中で帰ったよ。いまどきいるだろ、刺青くらいさ。あ~思い出したイライラしてきた」
「まあ、人と違うってことはそう言うことだよね……」
そう返すと、彼女は店員を呼び、二杯目のコーラハイボールと牛肉系の料理を三品ほど注文した。
そのときに俺はサラダを二品頼んだ。
「牛肉好きなんだ」
俺がそう訊くと、彼女はもう酔っているのか、ご機嫌な様子になる。
「ウフフ、そう、そうなんだ。昔はあまり好きじゃなかったけど、あたし牛肉好きになったんだよ」
そして、海は笑みを浮かべたまま、やってきた二杯目のコーラハイボールを一気に飲み干していく。
彼女のその言い方は、何か牛肉を好きになったきっかけがあったのだろうと思わせた。
……牛肉好きか。
まるであの人たちみたいだな……。
そして、俺は二杯目のコーラハイボールを注文した。
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