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第二話 東と海~その2
――東京都渋谷。
俺は朝から出たばかりの給料全額を持って、駅近くの路上に来ていた。
物流センターのパートで稼いだ約十万円の入った封筒を、そこにいた黒いパーカーを着た男へ渡す。
黒いパーカーの男は、封筒を受け取ると持っていたスマートフォンで電話をかけ始めた。
その後、偉そうな態度で伝言を伝えてくる。
「智慧座くんがバンドやれってよ」
彼らのボスである伊勢智慧座という少年がいるのだが、俺はその少年に脅されていて、毎月必ず給料の全額を持ってくるように言われている。
俺の住むところは、その智慧座の所有する物件で、毎月の家賃、電気、水道、ガス代は払わなくていい状況である(というか、稼いだ金はすべて取られているので払えないのだが)。
食費と交通費は、銀行口座に振り込まれるので(月のスマートフォン代も払ってもらえる)、それが俺の生活費。
だから練習スタジオを借りたり、ライブのチケットノルマを払う、金がかかるバンド活動などできるはずがなかった。
だが、四六時中俺のことを監視しているらしい智慧座は、言ってもいないのにバンドに誘われた話を知っていた。
あまつさえバンドをやれと言っている。
「もしやらなかったら、お前の鼓膜と両方の指を潰すってよ」
黒いパーカーの男は、不機嫌そうにそう言うと舌打ちをして去っていった。
……なんだそりゃ。
だったら金を取るなよ……。
意味がわからん……。
俺がそう思っていると、ポケットに入れていたスマートフォンが震える。
誰か確認すると、そこには佐藤海の名が出ていた。
「はい、東です」
まるで仕事のときにかかってきたような対応で電話に出た。
「よう東! いま暇だったらスタジオ来いよ」
……いきなりだな。
俺は電話越しに嫌な顔をしながら、馴れ馴れしい海に訊く。
「あのさ……こないだ言ったけど、俺、まだバンドやるとは決めて……」
「じゃあ横浜西口にあるクラウドナインね」
彼女は、人の話も聞かずに電話を切った。
あまり行きたくなかったが――。
いや、そもそも俺はこういう突然呼び出されるのが好きではない。
それは、昔働いていた不動産会社を思い出すからだ。
だが、バンドをやらなければ、鼓膜と両方の指を潰されると言われたので、しょうがなく行くことにした。
それから電車で横浜へ行き、練習スタジオへ。
休日の午後というのもあってか、店内には中年の男女が多い。
その光景は、今は昔よりもバンドをやる若者が少ないのだと感じさせた。
受付で佐藤海の名前で予約してある部屋を聞き、その階へエレベーターで向かう。
到着したフロアには、休憩所らしき共有スペースがあり、そこに佐藤海がいた。
「おっ! 早いじゃん。いいね、時間を守る男は好きだよ、あたしは」
彼女は、煙草の紫煙を吐き出しながら、言っていた時間よりも30分以上も早く着ていた。
軽く頭を下げ、彼女の近くの席へ座る。
「早く来たつもりだったが、先にいるなんてね」
「誘ったのはあたしだし、それに好きなことやるのに遅刻とかありえないと思わない?」
……そうだよな。
俺も彼女と同意見だ。
だが俺が知っている限り、プライベートで待ち合わせをして時間を守る人間などは皆無である。
多くの人間は、仕事の時間は守れてもプライベートの時間に対しては適当だ。
五分~十分の遅刻などは当たり前で、酷いときはもっと待つのが普通だと、俺は思っている。
それは、気軽に連絡できる携帯電話のせいかもしれない。
いつでもどこでも繋がっているというのも考えものだ。
俺は言葉を返す。
「でもまあ、めずらしいよ。予定時間よりも早く待ち合わせに来る人ってさ」
「だよね、それわかる。前に知り合いが言っていたんだけど。時間を守れない奴って、時間の価値を理解していない人間なんだって」
「時間の価値か……」
「その人が言うにね。そういう人間は普段から家でダラダラしている傾向があるらしく、他人もそうだと思っているから気にならないんだって。あたしはさ、それを聞く前は、単に待たしている相手を下に見ているからだと思っていたんだけど。その話を聞いて妙に納得しちゃってさ」
今彼女が言った話と、同じ話を俺は聞いたことがあった。
その人はドイツの作家ミヒャエル·エンデの児童文学作品『モモ』と引き合いに、そんな話をしていた。
ただ『モモ』でよく言われているのは、“ゆったりとした生き方をしよう”というものであり、今話していたことと逆な気がするが……。
「Dスタジオいいですよ」
「は~い。よし行こっか」
店員の軽やかな声が聞こえると、海は持ってきていた二本ギターとエフェクターボードを持って、笑顔で中へと入って行った。
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