捧げるは白き目眩

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捧げるは白き目眩

「月島さーん、月島 (るい)さーん」  土曜日の病院は午前中だけしか開いてないためか、なかなかの盛況ぶりだった。  今朝から続く目眩(めまい)を感じながら、診察室に入った。 「月島 類さんね、はい、座って。目眩がするの? 目が回る感じ? それともフワフワ〜っとする感じ?」 「いやぁ、なんか白くてだだっ広い空間が脳裏をよぎる感じ?」 「はい?」  今朝からときどき、目の前に白い空間が広がるような感覚に襲われていた。  気を抜くとそのまま意識が持っていかれそうになるのだ。  こりゃまずいなと思い、慌てて近所の総合病院に駆け込んだ。  目眩はどんどん強くなっていて、気を張っていないと立っていることも難しくなってきている。 「その目眩は長く続くの? それとも一瞬かな?」 「最初は一瞬だったんですけど、どんどん長くなってる感じです」 「長くなってるのかぁ。一応精密検査してみようね。今日って時間あるかな? さっきMRIのキャンセルが出たから、急げば順番ねじ込めちゃうけど」 「今日は大学ないので、よろしくおねがいします」  それってすっげー高額だったりするのだろうか、学割とかあるかな、などと朦朧(もうろう)としながらも思ったが、この目眩は絶対にまずいと確信していたため、検査をお願いした。  さいあくでも家に帰れば、実家から仕送りしてもらった数万円入りの茶封筒があるので大丈夫だろう。  検査着に着替えて貴金属などを身に着けてないことを確認すると、裸足で寝台に横たわった。  ウィンウィンウィンと音を立てながら寝台が動く。  そのまま白い筒のような機械に寝台ごと吸い込まれていった。 (狭い……なんか怖い……)  MRIの中は、まるで棺桶のように狭い。  いま地震が起きたらどうなるんだろうと、低確率なことまで心配になってくる。 (これなら……目眩で見える空間の方がマシだよなぁ)  そんなことを考えて目を(つむ)ったのがいけなかったのだろうか。  俺の意識はそこで途切れ、気がつくと白い空間に佇んでいた。  ◆  最初こそ目を見開いて驚いたが、しばらくすると落ち着き、今では動揺も不安もまったくない。  異常なほどに心が平穏だ。 (これって、最近アニメとかで見かける異世界転移ってやつか?)  そんなことを考える余裕すらある。  それにしても何も起きない。  お約束としては、神様か女神様がいてトークをする流れのはずだ。 (これは……多分まずい、かも?)  感覚的な刺激がない空間にいると、長くは自我を維持できないと何かの講義で教わったことを思い出す。  全く危機感が伴わないので、大丈夫な気もするが。  幸い平衡感覚はあるので、前に歩いてみた。  かなり進み続けたが、まるで景色が変わらないので歩くことを止めた。 (……疲れた、ような気がするなぁ)  相変わらず疲労感も危機感も、これからどうしようという不安もまったく湧かない。 「あーここどこだー」  意味もなくぼやく。  諦めて大の字に寝転がってしまった。 (もはや打つ手なし)  目を閉じる。  そのまま眠りに落ちていった。  ◆ 「起きなさい」  女性の声が聞こえてきて、バチッと目が覚める。 「やっと見つけましたよ」  まだ白い空間のようだ。  声が聞こえた方を見ると、白い空間に溶け込んでしまいそうな脚線が見えた。  視線をあげると膝丈くらいまでの短いローブを羽織り、フードを目深にかぶっている若い女性がいた。  俺を見下ろす瞳はルビーのように輝き、フードから覗く髪は金色だ。  ローブがくすんだ茶色をしているので、コントラストで女性の髪が一層輝いて見える。 「女神、様?」  半ば確信めいたものを感じて尋ねた。 「黙っていなさい」  女性ーー女神様は優しい声の印象とは対象的に、冷たい返事をした。 「あの、ここは?」 「待ちなさい」  そう言うと女神様は何かを探すように周囲を見渡す。 「来ましたね、遅いですよ」  女神様が誰かに話しかけたので、俺もつられてそちらを見る。  見て固まった。 「が……がいこつ!?」  そこには理科室でよく見かける人骨の標本が立っていた。  しかし理科室の標本のようにおとなしく立っているだけではなく、どういう原理でか、関節を動かして頭蓋骨を指でポリポリかく素振りをしている。  謝っているように見えなくもない。 「四つん這いになりなさい」  女神様に言われた骸骨は、一拍遅れて倒れこむように四つん這いになる。  そこに無遠慮に女神様が座ると、足と腕を組んだ。 「這いつくばりなさい」  それは俺に言ったのだろう。  この空間で立っているのは俺だけだ。  よく分からないが疑問も怒りも湧かないので、言われたとおりに這いつくばる。  なんとなく情けないが、女神様を崇める信者Aという感じの構図になる。 「顔を伏せたまま聞きなさい」  てっきり「(おもて)をあげよ」と言われるんじゃないかと思っていたが、どうやら顔をあげる許可が出ないほどに俺のポジションは低いらしい。  そして丁寧に、しかし面倒臭そうに女神様は話し始めた。  予想通り、俺は召喚魔法によって異世界に転移されるらしい。  召喚魔法を使うには、術者の他にも大きな魔力を持つ存在の仲介が必要らしく、それが女神様だという。  召喚魔法は女神様も初めてらしく、なかなかうまく俺を召喚できずにいたのだとか。  なかなか召喚できなかったというのが、今朝から続いてた目眩に抗っていたことが原因なのか、この空間を彷徨っていたことが原因なのかは分からないが、どうやらお手数をおかけしたらしい。 「質問してもいいですか?」 「短く」 「さっきから全く感情らしい感情が湧かないのですが……」 「ここではそういうものです」  にべもない返事をされる。  だが、魔法的な見解を聞かされても分からないだろうし、どうしても聞きたいという意欲も湧かない。  おそらく「あなたはこれから知らない世界に召喚されますよ」などと聞けば、誰でも取り乱して元の世界に返してくれと懇願するだろうから、そういった煩雑さを防止するためではないか。  そう考えながら自分の冷静さを確認する。  召喚に対して忌避感は全く感じない。  しかし、それは何か人として間違った反応だと頭で理解している。  なので一応尋ねることにした。 「俺は召喚されても役に立たない普通の大学生だと思うんですけど、交代とか可能ですか?」 「どうでしょうね。分かりませんが、これ以上時間を掛けると術者の体がもたないので却下です」 「けっこう疲れるんですかね、召喚魔法って」 「まぁ、そんなところです」  先程に増して女神様の対応が投げやりになってきた。  ひょっとしてピリピリしているのだろうか。  ダメ元で聞いてみたが、やはり転移は確定らしい。 (あ〜、俺の地球人生、短かったな。ようやく文学部の必修単位も取り終わりそうだったのに。人生100年時代とかネットで見てたせいか、のんびりしすぎたかね……家族が知ったら心配するだろうなぁ) 「もういいですね。召喚魔法を成功させるには転移前に1つやらなければならないことがあります」  俺が地球に別れを告げていると、女神様は一方的にクエッションタイムを切り上げて先を続けた。 「私の特殊な能力の1つを貸与します」 「お、噂に聞きしチートですね」  俺は意識的に気持ちを切り替えて、チートGETというイベントに食いついた。  女神様は椅子にしている骸骨の頭をペシペシ叩きながら何かを考えている。 「ふむ、思ったより大きな能力を与えないといけないらしいですね。まぁいいでしょう。私には無用の能力ですから」  いったい何をくれるのか、感情が抑圧されているにも関わらず少し気になった。  しかし、女神様のご機嫌はあまり麗しくなさそうなので、おしとやかに待つ。 「(ひざまず)いて(こうべ)を垂れなさい」  痛くしないでね、と心の中だけで小ボケをかまして女神様の前に跪いた。  すぐに女神様の指らしき感触を旋毛(つむじ)あたりに感じた。  ゾッとするほど冷たい。  まるで氷を直接押し付けられたような感覚に身震いする。  冷気がゆっくりと動く。  頭から喉を通り、心臓を経て、腹の下あたりで止まった。 「さて、それではせいぜい頑張ってくださいね」  その言葉が終わると俺の意識がだんだんと薄れていく。  完全に意識が消える最後の瞬間に、椅子と化している骸骨が首をこちらに振り向け、俺のことを(うかが)ったような気がした。
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