第三章 嘘つきの本音

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 五時間目の授業は体育だ。今日のメインイベントは種目決めで、一学期は陸上、剣道、創作ダンスの三種目から一つを選択しなければならない。そもそも運動があまり得意ではない僕は、聡平が陸上にするというのでそれに合わせる形で陸上を選ぶことにした。 「あれ、あんたたちも陸上? (でこ)(ぼこ)コンビ」  陸上の列に並んで座って聡平としゃべっていると、後ろから女子生徒の声が聞こえてきた。聡平は何気なく振り返り、僕は肩をびくつかせながらもどうにかこうにか首を向けて声の主を確認した。 「おう、弘海。そんなにオレ様の華麗な走りが見たいってか?」 「は? うざ、違うし」  ケラケラと軽快に笑うのは、僕らと同じ六組の弘海和音さんだ。彼女は野球部のマネージャーで、つまり聡平とは同じ部活で青春を謳歌する仲でもある。ショートカットの髪がサバサバした彼女の性格をよく表していて、おとなっぽい印象の淀川さんを〝美人〟と評するなら、童顔で背の低い弘海さんは〝可愛い〟と言われるタイプだ。  ちなみに凸凹コンビというのは、一八〇センチ近く身長のある聡平と一六五センチしかないチビな僕が並んでいるさまを表現した言葉で、言い出しっぺが彼女、弘海さんだった。  そして、弘海さんのすぐ後ろ。  教室では彼女と席が隣同士である(くだん)の女子生徒・淀川さんが、僕らと同じ陸上の列に並んでいた。 「鈴子ちゃん、前の学校で陸上部だったんだって」  彼女の存在に僕と聡平が驚いた顔をしていたからか、弘海さんが淀川さんと並んで僕らのすぐ後ろに腰を落ち着けながら言った。 「百メートル走の地区予選で優勝して、県大会……じゃなかった、都? 東京だから都大会か。とにかく、大きな大会に出たこともあるんだってさ! ね? 鈴子ちゃん」 「……まぁ、一応」  弘海さんに促され、淀川さんは遠慮気味にうなずいた。 「へぇ、そうなのか。そりゃすげえ」  聡平が半ば睨むようにして淀川さんのことを見ながら言った。僕もちらりとだけ彼女の様子を見てみたけれど、彼女の顔には何の表情も浮かんでいないように感じた。  ――え?  その時。  唐突に、何かの映像が僕の脳裏を(かす)めた。  体操服姿の女の子だ。小学生のようで、首から何かを提げている。……メダルか? メダルを提げているのか。 「うっ」  ズキン、と大きな痛みが頭に走る。咄嗟に目を瞑ると、セピア色の映像がフィルム映画のように再生された――。 『おめでとう』  僕は、目の前に立つ誰かに向かってそう言った。顔ははっきりと見えないけれど、たぶん女の子だ。  何かの大会で勝利した証だろうか。首から提げている金色のメダルを手に取り、嬉しそうに口もとを笑わせる。 『ありがとう、理紀』  明るく、朗らかな、小学生らしい幼さの残る声で、その子は僕の名前を口にした――。 「理紀!」  はっ、と我に返ると、聡平に肩を揺すられていた。 「おい、大丈夫か? 顔真っ青だぞ」  今見た映像と現実との境界がはっきりしないまま、僕はただ呆然と聡平の瞳を見つめ返すことしかできなかった。   ――何、今の映像……。  まったく記憶にない一場面だった。まさか、僕の小学生時代の……? 「和音ちゃん」  何が起きたのかとじっくり考える(ひま)も与えられぬまま、僕らの背後で不意に淀川さんが弘海さんのファーストネームを呼びながら立ち上がった。 「あたし、やっぱりダンスに変える」  え、と弘海さんが意表を突かれて腰を上げ損ねていると、淀川さんは彼女だけを見下ろして続ける。 「陸上は、部活に入って真剣にやるから。それに和音ちゃんだって、本当はダンスのほうがやりたかったでしょ?」  行こう、と淀川さんは僕らには少しも目を向けることなく、スタスタと創作ダンスの列へと向かって歩き出した。「ちょ、ちょっと鈴子ちゃん!」と弘海さんが慌てて淀川さんを追いかけていく。 「……何なんだよ、あいつ」  去りゆくふたりの姿を鋭い目つきで睨み、聡平は険しい表情でつぶやいた。彼の言う『あいつ』とは弘海さんのことではなく、おそらく淀川さんのことだろう。 「大丈夫か? 理紀。また頭が痛くなったんだろ?」  聡平はそっと僕の背中をさすってくれた。気がつけば、僕は吐き出す息を震わせていた。 「…………聡平」  ようやく何が起こったのかを理解して、息だけでなく声までをも震わせてしまう僕。「どうした?」と聡平は優しく先を促してくれる。 「僕、今……たぶん、昔のことを、思い出した」 「なっ!?」  聡平は目を見開いた。 「マジかよ!?」 「うん……頭の中に、突然見覚えのない映像が流れて」 「映像? どんな?」 「誰かが……小学生くらいの女の子が、首からメダルを提げてて、それで……僕が『おめでとう』って言ったら、『ありがとう、理紀』って、その子に言われて……」 「メダルだと?」  聡平は何かに気づいたような顔をして声を上げる。 「おい理紀……確かさっき弘海が言ってたよな? 淀川は、陸上の地区大会で優勝したことがあるって」  僕も聡平の顔を見て、ごくりと唾をのみ込んだ。 「僕が今見た映像は、小学生の頃の僕と淀川さん……?」 「可能性はゼロじゃねぇだろ。現に淀川はおまえが頭痛を訴えた途端にオレらの前から離れていったんだ。やっぱりおかしいって、あいつ。おまえがあいつに感じた〝何かを隠してる〟って印象、たぶん当たってるぞ?」 「いや、でも……」  どこかモヤモヤとしたものを抱えたまま、僕は先ほど見た映像をもう一度思い出して頭の中で再生する。 「……彼女、笑ってた」 「笑ってた?」 「うん……口もとしか見えなかったけど、すごく嬉しそうに『ありがとう』って言ってて。今の淀川さんとは全然印象が違うというか……」 「そんなもん関係ねぇよ。時系列がわかんねぇんだ。今見た映像がおまえと淀川の関係がこじれた時よりも前のものなら、互いに笑顔を見せ合ってたっておかしくねぇだろ」 「こじれたって……」 「そういうことだろ? 純粋に引っ越しのせいで離れ離れになっていただけなら、たとえおまえの記憶が消えてなくなってて淀川のことを覚えてなかったとしても、あいつがおまえに昔の知り合いだってことを黙ってる理由なんかねぇはずだ。知ってて黙ってるってことは、あいつはおまえに昔のことを思い出されちゃ困ると思ってるのかもしんねぇんだぞ?」  やっぱり聡平も僕と同じ考えのようだ。今見た映像の女の子が淀川さんだとするなら、僕と淀川さんは、僕が記憶を失ってしまう前までは互いに笑みを向け合えるような良好な関係を築けていた。昼休みに石垣くんから指摘されたように、僕らは本当に仲のいい幼馴染みだったのかもしれない。  それが今じゃ、淀川さんは東京で僕と同じ時間を過ごしていたことを隠している。彼女が今の映像やあの夢に出てくる少女でない可能性も完全には捨てきれないけれど、それにしたって、僕が頭痛を訴えた直後に選択種目を陸上からダンスに変えると言い出したのは確かに不自然だ。やはり彼女には何か秘密があると考えるべきだろう。それも、僕との関係における大きな秘密を。 「淀川鈴子、か」  聡平は、創作ダンスの列に並んで弘海さん他数人の女子と談笑している淀川さんをジロリと睨んだ。 「調べてみっか、本格的に」  どこか火のついたような目をして言う聡平に、今度は僕のほうが険しい表情になってしまう。 「調べるって……淀川さんのことを?」 「あぁ。っつっても、具体的に調べるのはオレじゃねぇけどな」 「……どういうこと?」 「昔の知り合いに調べ物を趣味にしてるヤツがいてよ。金はかかるけど、そいつに頼むのが一番早くて確実なんだ」 「金って……」  要するに、金銭を支払って探偵に依頼するようなものだろうか? 昔の知り合いって、一体どこの誰なのだろう。 「あーもうイライラすんなぁ!!」  聡平が坊主頭をガシガシと乱暴にかきながら叫んだ。 「どいつもこいつも、嘘ばっかりつきやがって」  怒りに震える彼の瞳は、僕が彼と出会った頃に向けられたものと同じ色をしていた。  淀川さんの嘘の理由がはっきりするまで、聡平が彼女に向ける眼差しはきっと厳しいままだろう。
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