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語り終えて満足したのか、紺野くんは手にしていたフォークでいちごのタルトをサクサクと丁寧に切り分け始めた。僕と聡平も、長らく緊張させていた表情を少しだけ緩める。
「……どう思う? 理紀」
「どうって?」
「淀川の証言だよ」
「あぁ、マスク姿の男の人に襲われたっていう?」
「それ。マジで嘘だったと思うか?」
うーん、と僕は首を捻る。
「……でも、彼女この間言ってたよね。必要だと思った時は嘘をつくこともあるって……」
「けど当時小学生だぞ? 自分だって腕切りつけられて怖い思いしてんのに、いくら同級生をかばうためだからって咄嗟にいもしねぇ犯人像をでっち上げられるものか? 警察とのやりとりだって慣れてたわけじゃねぇだろうし……」
確かに、聡平の言うことには一理ある。これが中学生や高校生の時に遭った事件ならまだしも、たかだか十歳かそこらで簡単につける嘘の類ではない。
「それに、凶器は折りたたみ式のナイフだったんだろ? なぁ紺野、そこんとこは調べがついてんのかよ?」
「いや、凶器については現場に残されていなかったみたいだからね」
「そら見ろ、やっぱりおまえの犯行ってことはあり得ねぇよ。頭打って倒れてたおまえに凶器を処分する時間なんてなかったはずだからな。淀川についても同じだ。おまえが頭から血ィ流して倒れてるってのに、誰かに助けを求めには行けても凶器を捨てる余裕が持てるとはさすがに思えねぇ。だいたい、下校途中の小学生がナイフなんて持ち歩くか? 普通。カッターとか彫刻刀とかなら図工の時間に使ったものを持ち帰った可能性もあるけど……」
スラスラと紡がれる聡平の推理を聞いて、ようやく僕が淀川さんを切りつけたという説が信憑性の低いものだと納得できそうだった。紺野くんが拾ったSNS上での噂話である〝僕と淀川さんとの間に和解が成立した〟という話がまったくの見当違いであることは記憶喪失である僕自身が一番よく理解できているところだし、そもそも僕には意識を取り戻してから淀川さんと顔を合わせた覚えがない。目を覚まして一週間ほどは新たに記憶することも難しかったという話もあるから、もしかしたら彼女は僕の病室にお見舞いに来てくれていたのかもしれないけれど。
いずれにせよ、話は紺野くんの言うとおりなのだ。
五年前の春、僕が記憶を失うことになった真の原因について知っているのは、淀川鈴子さんと、記憶を無くす前の僕、そして、彼女の腕と僕の頭に傷を負わせた通り魔の男の三人だけ。
そのうち、最も身近にいる相手は。
「聡平」
「あん?」
顔を上げ、僕はまっすぐ聡平の目を見て言った。
「僕、明日淀川さんと話すよ」
僕の宣言に、聡平は目をまんまるにした。
「まだ全然思い出せないけど、僕は間違いなく、過去に淀川さんとつながってた。そして僕らは、同じ事件に巻き込まれた。どうして彼女がそのことを僕に黙ったままでいるのか、事件の真相がどんなものだったのか……ここまでわかったら、あとはもう彼女本人から聞き出すしかない。紺野くんの手までわずらわせたんだ、やっぱり僕は真実を知らなきゃならないと思う」
「理紀……」
「怖いよ、正直。知らないままでいたほうが幸せかもしれない。でも、僕が思い出した記憶の中で、僕は間違いなくこの手にナイフを握ってた。その状態で彼女に『やめて』って言われたんだ。可能性は低いかもしれないけど、そのナイフの先がもしも彼女に向けられていたのだとしたら、やっぱり僕はきちんと謝らなきゃいけないと思う。罪にはならなくても、僕の行為が彼女に恐怖を与えたのは間違いない。彼女が頑なに口を閉ざしているのは、事件のことを思い出したくないからかもしれないでしょ?」
聡平はしばらく黙って僕の話を聞いていたけれど、かすかにうなずいて今一度僕を見た。
「おまえのことだ、最終的にはおまえが決めた道に進めばいい。人に流されて動いた結果より、自分の意思で掴んだ未来のほうが納得できるってもんだろ」
な、と聡平は僕の肩をぽんと叩き、力強い言葉でぐっと背中を押してくれた。紺野くんからも「がんばって」と激励してもらい、恥ずかしい気持ちもありながら、僕はどうにか前に進む勇気を持つことができた。
「しっかし、人ってのは変われるもんなんだな」
聡平もフォークを握り、紺野くんが取ってきたお皿の上からブラウニーを横取りした。
「女子嫌いのおまえが、自分から淀川と話しに行くなんて言い出すとは」
「な」
僕が目を見開くと、聡平はブラウニーの刺さったフォークを持ちながらニヤリと口角を上げた。
「明日になったら『やっぱり無理!』とか言ってオレに泣きついてくんなよ?」
「だ、大丈夫だよ! 僕だってやるときは……やる、と……思う……」
「おーい、声ちっさくなってるぞー理紀ー」
「あーもうっ! 大丈夫だってば!」
無理やり自分を奮い立たせ、僕も紺野くんのお皿からティラミスを一つ拝借して口の中に放り込んだ。「食べるなら自分たちで取ってきてよー」と紺野くんが唇を尖らせ、僕らのテーブルはささやかな笑いに包まれた。
「あれぇ? 聡平くんじゃーん」
その時、僕と聡平の背後から耳慣れた声が聞こえてきた。
「げ、弘海」
振り返ると、そこには同じクラスの弘海さんが立っていた。一緒に店に来ているのは彼女と同じ野球部のマネージャーさんたちだ。
「やば、男ばっかでスイーツ食べ放題とか」
「ち、ちげーよ! これにはワケが……っ」
「ってか、え? 待って…………紺ちゃん?」
あたふたと取り乱す聡平をスルーし、弘海さんの視線は僕らを通り越して紺野くんに注がれた。紺野くんはジロリと弘海さんの姿をねめつけるように目を細める。
「……あぁ、弘海さんか」
「うそ、ちょー久しぶりじゃん!」
「よく気づいたね。もう五年くらい会っていないのに」
「そりゃ気づくっしょ! 小学校の時から全然変わってないもん! ……ていうかまんまる度加速してるし!」
ギャハハ、と軽快に笑う弘海さんを見て、聡平がおもいきり顔をしかめた。
「おい弘海、おまえ紺野と知り合いなのかよ」
「そうそう、小学校の同級生なの。紺ちゃんは中学から明神に行っちゃったから、卒業して以来会ったのは今日がはじめてでさ。むしろ聡平くんこそ紺ちゃんと知り合い?」
「中学ン時の塾が一緒だったんだよ。……ってか、おまえら」
聡平はマネージャーさんたち全員に向かって言った。
「オレと今日ここで会ったことは誰にも言うなよ?」
「は? なんで」
「なんでもだよ! ワケありだっつったろ。特に弘海! おまえ、絶っっっ対誰にも言うなよ?」
「はぁ?」
マネージャーさんたちが顔を見合わせる。ふぅん、と弘海さんは両手を腰に当て、改めて聡平に向き直った。
「いいよ、わかった。しょうがないから黙っといてあげる。しょ・う・が・な・い・か・ら!」
弘海さんはわざとらしく強調して〝仕方がない〟と繰り返した。チッ、と聡平は舌打ちをする。
「わぁったよ! 今度なんかお返しするから! それでいいんだろ!?」
「さっすが聡平くん! わかってるぅ!」
ぽんぽんっ、と軽快に聡平の肩を叩いた弘海さんは、ケタケタと笑いながら自分たちのテーブルへと去って行った。
残された僕らのテーブルには、嵐のあとの静けさよろしくしばしの沈黙が訪れる。聡平は盛大にため息をつき、僕と紺野くんは顔を見合わせて苦笑いするのだった。
◇◇◇
さすがは県内屈指の強豪チームとあって、陸上部の練習環境やメニューはとても充実していた。部内の雰囲気作りもうまく、短距離選手だけでなく他の種目のメンバーともすぐに打ち解けられた。
タイム的に競い合える人が何人かいて、自分の持つ伸びしろを信じて練習に励めばさらに上を目指すことができそうだとすぐに入部を決め、今日から本格的に部活に参加させてもらっていた。
理紀と離れていた五年間の東京での生活は、陸上を中心としてそれなりに楽しい時間を過ごしてきた。
もちろん、理紀の無くした記憶についてはずっと気になっていた。けれど、理紀と離れたことであたし自身もあの日の出来事を遠い記憶の彼方に追いやることができていた。
完全に切り離すことはできないし、あの日の出来事をなかったことにすることもできない。それでも、思い出さないようにすることはできた。忘れていられるように、過去に囚われないように、毎日毎日目の前のことだけを考えるように努めてきた。
できることなら、あたしだって綺麗さっぱり忘れたかった。
思い出さずに済むのなら、それに越したことはないと今でも本気で思っている。
なのに、理紀は。
「…………バカ」
どうしてあの子は、過去を思い出そうとするのだろう。
過去を忘れていたって、今を楽しく生きることはできるのに。
今が楽しければそれでいいじゃないか。それのどこに不満がある?
「――どうした? 淀川」
ぽん、と肩を叩かれる。振り返ると、部長である三年生の先輩が小首を傾げてあたしの顔を覗き込んできた。
「……いえ、何でもないです。もう一本、走ります」
笑顔で答え、スタートラインへと駆け戻る。あたしだって、今が楽しければそれでいい。
あたしにとっては、今がすべてだ。過去のことなんてどうでもいい。
だから、お願い。
これ以上、あたしたちの過去を掘り返さないで。
お願い、理紀――……。
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