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だが、それは俺も変わらない。俺の今の仕事は病院での派遣だ。BPNという派遣会社に登録し、病院内のゴミを回収する仕事をしている。(その現場で去年まで大モメしていたのだが…)
白井の事をとやかく言えない。
だが、あれほど愚痴っていた派遣の仕事をまだしているとは、どういう心情なのか。
俺のそうした疑惑の姿勢を感じたのか、白井は財布から名刺を出した。
「今、こうでして…」
そこには、『人材派遣 ビーキャリエール 株式会社 第二浜松支店 営業 白井由志彦』と印刷されていた。
派遣社員ではなく、派遣会社の“営業”だった。
俺は驚いた。
白井は『派遣される側』から『派遣させる側』に変わっていた。
それよりも驚いたのは、白井の派遣会社の名前だ。
『ビーキャリエール』
実は、この派遣会社に俺は派遣しとして、登録している。
担当者は正兼という女性だ。何度か仕事を紹介され、その正兼と一緒に派遣先の会社に面接に行ったりした。残念ながら、採用される事がなかった。30半ばの口が不自由な男を派遣でも雇う会社は無かったのだ。
なので俺は、他にも色んな派遣会社に登録している。
それでも俺の働き先は決まらず、やがて南区にある精密工場に契約社員として入社し、正社員採用を目指した。そこでこの白井と出会った。
ちなみに、同じ精密工場には、この白井によく似た臼井と言う男がいて、俺は以前、その臼井からも情報を仕入れたりした。
あの男はどうしているのか。分からない。
だが、俺はそこを契約解除になった。
その後、そこの“元”上司だったの宮本という男と、その家族を俺は救う(?)事になる。
この契約解除により俺は、『派遣から頑張って正社員採用』という希望を諦めた。
で、いろいろあって、今のBPNから病院の仕事に“派遣”されている。
“ビーキャリ”の担当者の正兼は、定期的に俺に電話をして、現状確認をして来たりする。
先月もあった。
俺は、"知り合い"の介護福祉士を彼女に紹介してやった。どうなっただろうか。
ま、関係ない。
今のBPNにしても、ユニックス、ビーキャリエールにしろ、俺はどうも派遣会社の人間がどうも苦手だ。こちらの気も知らず、自身のペースで話を進めていく。そこがどうもダメなのだ。
白井は、俺がビーキャリエールに登録していることを知っているのか。
ニコニコしながら、名刺を見せた彼からは、そんな感じはしない。おそらく、同じ営業でも所属部署が違い、派遣社員毎の担当制なのだろう。俺の担当者が正兼である事を白井は知らないのだろう。
俺からもあえてそれを告げる必要もあるまい。
「き、君、派遣んか会社やや、に就職く、したのかか!」
俺は、わざと驚いた声を出した。
白井は、また照れた笑みを浮かべて、頷いた。
「そーなんすよ。今までは派遣の営業していましたが、今は人を派遣する側なんですよね。…それで今日は僕の担当している現場の子達と飲みに来てまして」
そう言って白井が首を振った先のテーブルに三人程の若者がいて、不思議そうにこちらを見ていた。
彼らしいとは思った。
白井はその容貌からは思えないほど毒舌だったりもするが、俺などとは違い、人当たりがかなり良く、かなり社交的だ。
担当している派遣社員ら(派遣バイトら)と酒を飲むなどは、よくある事なのだろう。
人材派遣という、多くの人間、会社、組織と知り合い、それに繋がりをつける仕事だ。
それは、彼の性格に合っているかもしれない。人懐っこい白井にはぴったりの仕事かもしれない。
俺には無理な仕事だ。
「鈴木さん、何しているんすか?」
「…う、うん、今日はは、い、行きつけのの、飲み屋ががが休みでね。さ酒、飲みたくて、てね…」
「いや、そうじゃなくて、お仕事ですよ。…あの研究室、辞めたんですよね
白井は何故か俺が事務補助の仕事を辞めた事を知っていた。俺の退職(解雇)は彼が辞めた後だったはずだが…。
「今はは、び、病院でで、働いていていいる、よ」
「…というと、あの食器洗浄の?」
それは去年の秋に解雇になったユニックスの仕事だ。今、同じ病院の中で清掃の仕事(BPN)をしている。
そこら辺の事情を話すと長くなる。今、こうしてこの居酒屋のカウンターで飲んでいるのも、その"延長"に近い。
「い今は、同じじ病院んで、で、ゴミ回収のの仕事、しててんだだよ…」
俺は細かな説明を省いて、現状だけを告げた。白井は少し驚いた。
「そーなんすか。順調っすか?」
「…ま、まぁ、な、なんとか」
ゴミ回収の仕事(BPN)自体は順調なのだが、以前いた食器洗浄(ユニックス)の、とある“爺さん”とはなかなか揉めている。もちろん、そんな話はしない。
「…ま、ど、どうなるか、か、わかんな、ないけどね」
俺は実感を込めて呟いてしまった。実際、本当にそうだ。2度の手術を終え、退院してからの俺の仕事は安定していない。
また、今日の“乗り込み直談判”で、ユニックスがどういう手に出るか、まだ分からない。
「…なんかお仕事、探してんすか?」
白井が急に人材派遣の営業らしい事を訊いてきた。俺の表情を読み取ったようだ。心配したのかもしれない。
今の病院のゴミ回収の仕事に不満は無い。だが、今日の名古屋の出来事からしたら、また一波乱あるやもしれない。
「ままた、仕事、探すす、か、かもなぁ?」
少しぼかして言った。
「えっ、そーなんすか? お仕事探しているんですか?」
そう決まったわけではないが、可能性は無くは無い。「まあな…」と、また曖昧な感じに俺は応えた。
「何かあったら、僕に話してくださいよ。ウチの会社、仕事、ありますから」
そりゃそうだろう、人材派遣なんだから。
「鈴木さんでも出来る仕事もお探ししますよ」
(それはどういう意味だ?)と思ったが、俺の"事情"を考慮出来ると、いう事なんだろう。白井なりの配慮なのだろう。そう思いたい。
だが、俺の担当者は正兼のはずだ。
「鈴木さん、連絡先、教えてくださいよ…」
そう言えば白井と携帯などの連絡先を交換していなかった。俺たちは互いの携帯番号を交換した。
「また連絡しますんで…」
白井はそう言って、自分がいたテーブルに戻って行った。
こちらを見ていた男女が、俺の事を白井に聞いているようだった。
白井が俺の名前を登録したら、既に登録済みであるはずだ。
俺は説明しようとしたが、面倒で止めた。
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