一九八〇年、八月十五日。

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「私は香港にいたんですから、消息が掴めなくても仕方ありません」  まだ黄緑をほのかに含む白百合(しらゆり)の花束を手にした彼女は私とそっくりな大きく丸い目を伏せて静かに続けた。 「私もずっと日本人の自分を隠して生きてきました」  こちらの福島訛りが恥ずかしくなるような綺麗な日本語だ。  しかし、それこそがこの生き別れた双子の姉にとって日本語が既に母語でない証左でもあるのだろう。 「香港へは」  イギリスの統治下でいち早く中国本土より豊かになった、カンフー映画で有名な、ピークトラムの走る、中国であって中国でない、華やかな街。  自分の中ではテレビや雑誌で見たそんなイメージしかない。 「いつ移ったんですか」  日本に帰国した私たち一家の中では、双子の姉のうららは満州で隣に住んでいた周さんのお宅に預けられたところで行方が途切れていた。
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