一九八〇年、八月十五日。

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「育てのご両親も?」  ――この子は私たちが何とかしますから、あなたたちは早くお逃げなさい。  日本の敗戦で混乱に陥った満州から脱出する際、猩紅熱にかかった双子の姉だけが隣家の子供のいない周夫妻の許に残された。  五歳の私にとっていつも一緒にいた「うららちゃん」と離れるのは自分の半身を引き裂かれるようなものだった。  独り異国に残された彼女はそれ以上に辛かったはずだ。  両親と私の三人が命からがら乗った引き揚げの船でも多くの人が日本に着くのを待てずに亡くなった。  船の中はいつも垢じみた着のみ着のまま逃げてきた人たちの汗や糞尿や嘔吐物の入り交じった匂いがしていた。  その中で死んでいく人たちの中には私とさして年の変わらぬ幼い子供もいた。  息絶えた子供を抱いて忍び泣くよその家族を目にすると、私たち一家は互いに口には出さないまま「うららちゃん」を思い出して打ち沈んだ。
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