二〇一九年、八月十五日。

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 去年の秋の暮れ、アニタのお祖母ちゃん、私にとっては大伯母になる周麗(チョウ・リー)、日本名「山口うらら」は香港の自宅で倒れてそのまま亡くなった。  当日まで元気だったので周囲の誰もがその急死に驚いた。  二日後、夏頃から入院していた私の祖母、森さくら、旧名「山口さくら」も息を引き取った。  享年七十八。一緒に生まれてきた二人は連れ立つようにあの世に旅立ったのだ。  古い写真の二人並んだ顔は造作としては瓜二つだ。  しかし、五歳で満州から両親と共に帰国し日本で育った「さくら」は肌白く穏やかに優しげな目をしている。  一方、ただ独り大陸に残され、長じて香港に渡った「うらら」の肌は幾分浅黒く、鋭い眼差しには日本人の感覚からするときつい印象もなくはない。  これは四十歳で三十五年ぶりに再会した時の写真だ。  私の覚えている「福島のお祖母ちゃん」と「香港のお祖母ちゃん」(正確には『大伯母ちゃん』だがうちではそう呼んでいた)はどちらも優しく穏やかな銀髪の老婦人だったが、それでも後者の方がもう少し意思表示の強い印象が残っている(もっとも、香港で話されている広東語だと普通に話していても日本人の感覚ではしばしば喧嘩腰に聞こえるのだ)。  四十歳で香港からはるばる双子の妹「さくら」を探し当てて訪ねてきた「うらら」は長患いが予想された妹の手を引いて勢い良く冥府に旅立ったのだろうか。
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