未然のニュース『青い新聞』

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 犬がきた。  青い新聞の勧誘だった。 「君は『青い新聞』を読んだほうがいい。いや、読むべきだ」と犬は言い切った。  チワワのようでもなく、ゴールデン・レトリバーのようでもなく、柴犬のようでも秋田犬のようでもなかったが、彼は犬だった。  なぜ犬のことを「彼」と言うか? 疑問に思うかもしれない。それには少しばかり彼の容姿について説明が必要だろう。犬種の説明ではなくて。  梅雨が過ぎないことには夏はやってこない。その梅雨がなかなかやってこなかった。夏は混んでるスーパーのレジに並んで順番待ちをしてるのだ。そんなふうに僕は思っていたが、梅雨入りもまだなのに今日も朝から暑かった。この暑さは紛れも無く夏だった。  そんな夏の暑さにうなだれるように玄関ドアを開けるとそこに犬が、そう彼がいたのだった。  彼は疑う余地もなく犬だったが、犬である彼は犬を軽々しく凌駕していた。よってそこらへんの犬と同等に彼を「犬」と呼ぶにはかなり違和感があった。  彼がそこらへんの犬とは違う点は、主に三つあげられる。  まず一つは彼が二本足で立っていたことだ。玄関ポーチで彼はぴんと背筋を伸ばし、顎を少し引いて神経質そうに立っていた。  二つめは彼が多くの犬がしているであろう首輪の代わりにネクタイを締めていたことだ。わりかしセンスのある色柄で、派手でもなく地味すぎもしない、高級そうではないが安物ではない、丁度いい印象のネクタイだった。  そして、三つめは。  彼が人間の言葉を話すということだ。 「あなたは物事を些か深く考えすぎる性格のようだ。もう少し気楽に構えたほうが人生は楽しい」  そう言いながら彼は眉間にシワを寄せていた。言葉と表情のバランスがおかしな感じがしたが、彼の言うことはまったくの見当違いでもなく寧ろ当たっていた。 「今回、購読の申込みをしてもらえれば洗剤を差し上げております」  そこだけは一般的な新聞の勧誘となんら変わらないセールストークを彼はした。本意ではないが会社から指示されているので致し方ないといった口調だった。そして、「しかし洗剤がもらえるかもらえないか、ということに何ら意味はありません。これは読むか読まないかの問題です。そしてあなたには読むという選択肢しかないのです」と言った。  彼はそこまで言い終わると、まるで打ち合わせたかのように町役場からお昼を知らせるサイレンが鳴った。近所の犬たちがそのサイレンに吠えた。しかし彼は吠えなかった。吠える代わりに彼はただ黙って舌を出し体温調整をしながら僕に購読の申込書を差し出した。町役場のサイレンが申込書を差し出す合図であったかのように。  僕にはサインするしかなかった。彼が言うようにそれしか選択肢がないのだから。  彼は申込書のお客様控えと一緒に、洗剤と今日の『青い新聞』を僕に手渡し去っていった。去り際に彼は言った。 「ある種のニュースは静かに語られます。たとえそれがニュースでなくとも、あなたの中に眠っていたものが目覚めるはずです」  僕は彼のうしろ姿を見送った。彼は尻尾をはげしく左右に振っていた。別れの挨拶だったのかもしれないし、一件の契約が取れて喜んでいたのかもしれなかった。  僕はサンプル的にもらった本日発行の『青い新聞』を開いた。先ず目に付いた記事があった。  馴染みのある駅前のケーキ屋の記事が気になったので読むことにした。そこには今春から販売を始めた「ブルーベリーとフランボワーズのチーズケーキ」が人気で連日売り切れていた、と書かれていた。しかし、その理由は人気があったからではなく店主が売れ残りの商品ロスを危惧して、そのケーキをあまり多く生産しなかったからであり売り切れは当然であった、という記事だった。記者はそのケーキ屋の一日の売上高から、各ケーキの単価、その一日の平均売上個数などを調査し、常連客にも聞き取りを行った上で記事は書かれていた。そして、「今後は少しばかり生産する個数を増やします」と苦笑いする店主の顔写真が掲載されていた。  次に猿の写真が目に付いたのでその記事を読んでみた。  写真の猿はこの町の動物園の日本猿だった。その猿(名前はエルザ)が一昨日の動物園の閉園後に猿小屋から脱走したというニュースだった。しかし猿は昨日の開園時間には自ら猿小屋に戻っており騒ぎにはならなかったという記事だった。  他にも、となり町の小学校の前の横断歩道のペンキが薄くなりかけていて、これでは安全とは言えないんじゃないか? いや、これくらいならまだ見えるから大丈夫だ、といった記事もあった。その学校に通う小学生の保護者352人にアンケート調査を行い202人が「安全面に問題はない」と答えた、と円グラフと共に掲載されていた。  これは未然のニュースなんだ、と僕は思った。この新聞には、ニュースになる前の、それ以前のことが書かれている。未熟の果実が青いように。出荷される前の、まだ枝にぶら下がっている青い果実のようなニュースが掲載されているのだ。それはやがて紅く色づいてニュースになるものもあるかもしれないが、そのほとんどは出荷されないものなのだろう。もはやそれはニュースとも言えないものばかりだった。  僕は何気に飛ばしてしまっていた新聞の一面を見た。そこには人ごみで溢れたショッピングモールのイベント会場・センター広場を俯瞰で撮影した写真が大きく掲載されていた。  その記事は昨日、センター広場で開催されたイベントに約三千人の来場者があったと報じられていた。そして、そのセンター広場は最大で五千人を収容することが出来るので、三千人といってもさほど混雑している様子はなかった、と書かれていた。「前回開催した時は四千五百人ほどの来場者があったので、もっと来てもらいたかったですね」と主催者のコメントが載っていた。  僕はニュースとも言えないにニュースを取材する記者の事を考え、それを記事にして新聞を発行するまでの過程を想像してみた。  自明の事実、青い新聞社は存在し、『青い新聞』は発行されている。それがすでにニュースだった。 「ロックンロールが死んでしまった」と若い女の子が歌ってる。その曲を聴きながら僕は『青い新聞』を読んでいた。 ほんとうに、ロックンロールが死んでしまったならそれは新聞の一面に掲載される大ニュースになるだろう。もちろん、ごく一般的な大手新聞社が発行する新聞の話だ。  僕は若い彼女らが「ロックンロールは死んでしまった」と歌うことについて考えてみた。そしてまた、『青い新聞』を読んだ。 「ある種のニュースは静かに語られます」と彼は言った。  僕は昔読んだ小説の、登場人物のセリフを思い出した。タクシーに乗っていて後部座席で前に飛び出すくらいの勢いで急ブレーキを踏まれたように、はっ、と唐突に思い出した。  どんな小さな音をも聞き逃さないように耳を澄ませていることが大事なのだと彼女は言った。「良いニュースというのは、多くの場合小さな声で語られるのです。どうかそのことを覚えていてください」 『青い新聞』の勧誘をする犬は、村上春樹をこよなく愛するハルキストかもしれなかった。 「ロックンロールは死んでしまった」と歌うスリーピースバンドの演奏が終わったので、もう一度リピートするボタンを押した。ロックンロールは死んでしまったのか確認作業をするみたいに、もう一度若い彼女らの曲を聴いた。  僕は明日の『青い新聞』を楽しみにしていた。
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