朧月夜のけだもの

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「わはは、上手く釣れたね」  夜の小路に明るい声が響いた。  物陰から現れた知成は、着物の襟を正す女に寄り添いそっと肩を抱く。  その手をばちんと払った女が頭を押さえたかと思うと、ぱかりと潰し島田の髪がはずれてザンバラの短髪が現れた。 「ああ!」  "けだもの"は声を上げた。見たことのある顔だ! 「驚いたろう。私の助手は女性なのだよ。愛すべき妻でもある」 「妻を矢面に立たせる馬鹿がいるか」  続いて出てきた尊が、地面に倒れている"けだもの"の腕を取る。 「さて、"娼婦殺し"さん……いや、弥七郎くんと言った方がいいかね」  尊に捕まえられた"けだもの"ーー弥七郎は唇を噛んで視線を背けた。 「どうして、わかったんです?」  依頼人の自分が犯人であることにちっとも動揺していない知成に、逆に弥七郎は驚かされていた。 「私と、彼女たちを繋ぐものなんて何もないのに」 「うーん、なんと言ったら良いだろうかねぇ」  知成は唇に人差し指をあてて考え込んだ。彼の癖なのだろうか。随分と芝居がかった仕草だ。 「私はね、一見すれば大抵のことはわかるのだよ」  ややあって開いた唇が発した言葉は冗談めいていた。 「比喩ではなくてね。私には人の感情が色でわかるし、現場や人をを見ればそこで何が起きたのか、どこで何をしてきたのか視る事ができるんだ」 「じゃあ、私が事務所を訪ねた時には」 「キミが犯人だとわかっていた」 「そんな……」  ひきつった笑みを浮かべる弥七郎を「信じるか信じないかは任せるけどね」と知成は宥めた。 「どちらにせよ、キミが"娼婦殺し"である事実に間違いはないからさ」 「そう……ですね。信じます」  はは、と渇いた笑みを漏らして弥七郎は項垂れた。抵抗らしい抵抗をしない彼の目は、諦念の色を浮かべて凪いでいる。 「私は、娼婦を見ると殺したくなる性質なのです」  弥七郎はそのまま掠れた声で語り始めた。 「母が娼婦で、捨てられた事をずっと気に病んでいました。死んだ娼婦の中に母がいると言いましたが、あれは嘘です。探したのは本当ですが、結局見つからなかったので。  けれども、自分がそんな狂気を抱いているなどとは知らずに生きていたのです。……一月前に同僚と夜遊びに出掛けた時、娼婦に絡まれたのがいけなかったんでしょうね。酒と女の匂いを振り撒いて男を誘う女を前に、私は、今まで抱いたことのないような怒りを感じたのです。  気がつくと目の前で娼婦が死んでいました。その時、私の胸に湧いた感情がなんだったかわかりますか? ……歓喜ですよ! 私は自分が娼婦をくびり殺した事に、恐れよりも後悔よりもまず喜びを感じたのです。それは、長年の悲願が叶ったような、逃れようのない快感を私に与えました」 「それから娼婦を殺し続けていたのか」  尊の呻くような声に弥七郎は頷く。 「許されないことだとはわかっているのです。けれども殺さなければ渇く。私にとって飢えよりもひどい苦痛だった」
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