朧月夜のけだもの

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 戸惑いながら通された通路の先には"鬼塚探偵事務所"と銀縁の看板のかかった木製のドアがある。 「どうぞ」  恭しく青年の開けたドアをくぐると、ふんわりとしたコーヒィの香りが鼻孔を擽った。  手狭だが綺麗に整頓された部屋は、赤い円形の絨毯と白黄色のライトに彩られ、落ち着いた雰囲気を醸し出している。中央に設置された来客用のテーブルセットと、奥にある重厚な本棚が、いかにも探偵事務所といった感じだ。  中でも1番目立つのは窓際に大きな体を落ち着けた、英国製のライティングデスクだ。それの存在感もさることながら、そこに座る男に思わず視線が吸い寄せられてしまう。  月のような男だと思った。  陶磁器のように白い肌と、オレンジがかった明るい髪色。薄墨色の不思議な瞳に彩られた、ゾッとするほどに整った異彩のかんばせ。  流行り色の背広が良く似合うその男は、なるほど日本人離れしていて現実味がない。襟足を結った空色のリボンも相まって、弥七郎には彼を天の使いだと思った人の気持ちが良くわかるような気がした。 「やあ、おかえりなさい」  男が唇を開いた。甘い響きの心地良い声に弥七郎はくらりとしてしまう。男の自分でこうなのだから、女たちが聞けばさぞ色めき立つことだろう。 「所長、お客ですよ」  表情を変えずに言う青年の言葉で、男は初めて弥七郎に目を向けた。  大きなアーモンド形の目がきゅ、と弧を描く。何がそんなに愉快なのかは解らないが、愉しそうに「なるほど、なるほど」と頷いてみせた。 「ごきげんよう。お客人」  男は椅子に座ったまま挨拶をした。手を机の上で組み、不遜にふんぞり返ったまま小首を傾げる。 「鬼塚探偵事務所へようこそ」  綻ぶように薔薇色の唇が事件の訪れを歓迎した。
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