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週末のブルース 12
玄関を開けたら、でかい靴がそこにあった。
俺はため息をつく。こうなりそうな予感は前からしていた。今日は水曜日だが、平日は来るなといった約束もあのクソガキには意味がなかったらしい。来ちゃえば関係ないもんね、なんていう、人を舐めくさったいい加減な考えだったんだろう。
「おい、尊」
リビングに入るとしかし、尊の返事はなかった。奴の長い脚がソファから突き出しているのだけが見えた。
三日前にも見た光景だ。あの時はお帰りと言ってくれたが、今日は夢の中か。全く腹の立つガキだ。
だが、前に回り込んでみて驚いた。予想通り尊は寝ていたが、赤い顔をして、どこか苦しそうだったのだ。
「おい、尊、どうした?」
額に触れると熱い。熱があるようだ。
すると尊の目が開いた。
「あー、トモちんー、おかえりぃー」
いつもにまして間延びした喋り方だった。しかも、ひどい鼻声だ。
「お前、風邪か? いつから具合が悪いんだ?」
「うーん、なんか学校でめっちゃ鼻水出てきて、ふらふらすんなーって思ってたら熱くなってきた」
「そんな状態なのになんで来たんだ。家に帰って寝ろよ」
「だってさあ、うち帰っても誰もいねーんだもん。俺、トモちんちに帰りたいんだよねー」
体調の悪い時に誰もいない家でひとり過ごすのは、さすがのこいつでもやはり寂しいのだろうか。俺もひとり暮らしが長いから、わかる気はする。たまに体調を崩すと、このまま誰にも気づかれずに悪化して動けなくなったらどうしようなんて、怖くなったりもするものだ。
それはわかったが。
「親に連絡はしたのか? 病院は? 保険証は持ってるのか?」
「だいじょうぶぅ」
「お前なあ、何が大丈夫なんだよ。質問には一個も答えてないぞ。ひとまず熱を測るか。ちょっと待ってろ」
体温計の数字は三十七度六分を指していた。そこまで高熱というわけでもない。一日様子を見ていてもよさそうではある。
俺は尊の鞄を取った。
「おい、親に連絡しろ。迎えに来てもらえ」
尊はがばと身体を起こした。
「なんで! 泊めてよ! うち帰りたくない」
「ダメだ。連絡しろ」
尊は渋々、そんな顔幼児でもなかなかしないだろうというくらいの膨れっ面で、スマートフォンを取り出した。
やがて、男の声が不明瞭に聞こえてきた。
『どうした?』
「もしもし、にーちゃん、俺具合悪くて、たぶん風邪だけど彼氏んち泊まるから。とーさんとかーさんになんか訊かれたら言っておいて」
『あー、そう。大丈夫か?』
「うん」
いや、おい、ちょっと待て。俺は親に連絡して迎えに来てもらえと言ったのであって、にーちゃんに外泊するって伝えておけとは言ってないぞ。それに、にーちゃんは家にいないんじゃなかったのか? 家にいない人間に外泊するって伝えてどうしようっていうんだ? いろいろとツッコミが追いつかんのだが。
「尊、あのな……」
が、再び横になった尊を見たら何も言えなくなってしまった。熱のせいで潤んだ瞳や、思いきり曲げたへの字口や、膨らんだ頬が、追い出さないでくれと訴えているみたいだったから。
「しょうがないなあ……」
しょうがないのは俺だ。なんて思うのも、もう何回めか。
俺は尊をベッドまで支えてやって、その日自分はソファーで寝た。翌朝になると奴はすっかり元気になって、トモちんありがとーなんて言って投稿していったから、なんとなく訊けなかった。
彼氏って、なんだよ。
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