シリウスの伴星

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(時代は、対応力 と 機動力だよ) 少年は頭の中で〈客〉のワードを 削除して、そこに新しいワードを 打ちこんだ。〈獲物〉 これは、しかし、あからさまに過 ぎるかな? それに… 『ラウンジに入って、 出入口付近で 待っていてくれる?』 と言った電話での声が、あの青年 なら似あう。と思って、少年は浮 き足だった。 もし、あの(ひと)に、あの声で呼びか けられたら、と想像して、少年は 乾いた唇を舌先で舐めた。 (なんでもしてやるんだが) 期待感が身の内に白波を立ててい るのを感じて、少しおちつこう、 と自分に言い聞かせた。だが── 誰から聞いたのだったか──人は 6秒で恋におちる。 そして、同じ青年が、今度は眼鏡(グラス) を着け、新書を手にして現れた時、少年の周囲から喧噪と人影とが消えた。 光輪(ハロ)に包まれて、青年が歩を刻み、今度こそ間違いなく、銀のフレームの奥から 少年をその瞳に捉え、まなざしを投げかけた時〈獲物〉は少年の頭上を飛びこえ、建屋から外へと放逐された。 〈あの(ひと)〉と〈客〉とが同一人物として目の前で統合された幸運に少年は天を(たた)えた。 喜びが来た! 奇跡という骨が投げ与えられたの だ。 少年の鼻は、()かん気な子供というよりは健気な犬のように働い て、すぐさま青年の匂いを追った。 自分にとって意味あることを探そ うとしている人が、表現されるべ きことを他者に伝えようとして、 レベレーション──隠れていたも の、隠されていたものを明らかに しようとする時の、耳たぶにつけ る、あのかすかな(べに)の匂い。 あるいは、(にえ)ともいう刀剣に輝く銀砂の匂い。 石造りの建物のエントランスから、午後の陽射しのまばゆい初夏の街路に走りでると、先を行く青年のシルエットが、風景に穿たれた(ゲート)のように少年を招いた。
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