シリウスの伴星

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〈客〉が〈あの(ひと)〉であれば、俺 はサプライヤーとして、この喜び を供給するために、まずは優しく て、感じのよい振る舞いを相手に 提供すべきだろう。 決心が 少年の態度を、(きわ)やかで、(おお)らかで、快活なものにした。 「半井(なからい)さんですよね?」 シェットランドコリーに駆けよる コーギー といった風情(ふぜい)で少年が駆けより、いくぶん探るように、しかし確信と期待に満ちた まな ざしで、自分を見上げた時、半井(なからい) と呼ばれた青年は甘いとまどいを覚えたが、それがなぜなのかはすぐに分かった。 少年は、自分の左側に 回りこん で来たのだが、自分は左利き(レフティ)だと少年に告げた覚えがなかった。 だから、この事実は偶然にすぎな かったのだが、わずかな幸先のよ さを感じて気持ちばかりの笑顔を つくり、少年にうなずいてみせた。 すると少年は、(あるじ)の気持ちに大いに反応して尾をふる仔犬のようになってしまい、その有様に青年は すっかり警戒心を解かれ、今度はシベリアンハスキーに語りかけるマッシャーのように少年に問いかけた。 「ヤマナシ アキラくん だよね。君が本人だという 証明はできる?」 すぐに少年は運転免許証をとりだ し、相手の境遇や事情を気遣う用 意のあることをしめし、ライセン スと一緒に、素直で好もしい印象 を青年の瞳に映すことに成功した。 「月見里と書いて、ヤマナシと 読ませるんだ。懐かしい感じの する珍しい名字だね。アキラは 太陽の陽か。いい名前だ」 「しょっちゅう陽気(ゲイ)の アキラっては言われますけど、 (あきら)って呼んでもらって かまいませんから。 半井(なからい)さんは、大きく (たっと)いって書いて、どう 読むんですか?」 「大貴(ひろたか)」 「シロタカさんか。 じゃあ、シロさんて呼んで いいですか?」 (それじゃ、犬だ) 「ヒロタカなんだけど」 「あ、俺、シがうまく発音 できない」 「陽くん ごめん。 ヒルトンホテル って言ってみてくれる?」 「シルトンホテル」 「……」 「ビは言えるんですけど、 ビジネスホテルとか」 「それって…」 「由来(オリジン)、方言なんで、 毎回意識すれば言えると 思います。 ヒ、ロタカ。 ヒロタカ。うん、イケる。 ね、いいですか? ヒロさんて呼んでも」 「いいとも」 「俺ら、名前似てますね」 「え? そ…うかな」 「割と距離の近い恒星同士。 大星(おおぼし)って、おおいぬ座の アルファ星。 高輝星シリウス。 意味は たしか、焼き焦がす。 だったかな」 「天狼星(てんろうせい)?」 「それは中国名」 「ちょっと待って。シリウスの 和名は青星じゃなかった?」 冬の夜空に青白く輝くので、その 名であると記憶していた。 ひょっとして、この子はシリウス B(Companion of Sirius)のことを言おうとしている? だが、僕が長いあいだ、青く鋭く 輝く〈シリウス〉に焼き焦がされ て来て、甘い苦しみを舐めている ことを、この〈太陽〉が知るはず はない。
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