誰にも知り得ない内緒の物語

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 駅前のビルに掲げられた巨大なモニターは、信号待ちをする人々の目の置き場になり、流れる映像にさして興味がなくてもなんとなく眺めてしまうものだ。それはあちこちに張り出された広告も同じで、大音量で街中を走る広告宣伝車もまた然り。  人は五感から情報を得て、それを第三者へ発信せずにはいられない。得た情報が最新なら尚更だ。すぐにSNSを介して発信し、いまや情報というのは瞬きの間に世界中へと広まる。 「――――えっ、うそ! CUENTO(クエント)の新曲!?」  信号待ちをしていた群衆の中から、突然、黄色い声が上がった。周りの人々は驚いて彼女達を見遣るも、次々とあちこちから悲鳴が打ち上がる。  彼女達の目がとらえたのは、モニターに映し出された五人組アイドルグループ・CUENTO(クエント)の新曲PVの映像だった。  公式からの事前発表は何もなく、突如として駅前のモニターに映し出されたのである。たまたま居合わせたファンが悲鳴を上げたのは無理もないことだった。常にSNSをチェックしている彼女達でさえも、知り得ない情報というのはある。  早速、スマートフォンのカメラを起動して録画する者や写真を撮ってSNSに投稿する者、心の叫びを発信する者や友人と感想を言い合う者、それから食い入るように黙ってモニターを眺める者と、反応は様々だ。その様子を呆れたように、あるいは迷惑そうに一瞥する者もいる。  SNS上では、同じ呟きがものすごいスピードで発信されていた。早々にまとめなどもできている。それによれば、新曲PVの映像は他四箇所でも流れたらしい。いずれも人混みの中で配信され、現場は若い女性達の悲鳴が響いていたそうだ。  サプライズは大成功である。 「日本のトレンド一位だって。すごいね」  皆の盛り上がりを遠目に見ながら、片手でSNSをチェックしていた少年が抑揚のない声で言った。女性のように赤いマニキュアを塗った細い指で、自身も情報を発信すべく文字を打つ。 「今回は和風か~! えっ、待って、アリスくんめっちゃ色っぽくない?」 「何言ってんの! アリスはもともと色っぽいよ! 可愛い顔してるけど、流し目とか最高でさあ! でも中身はめっちゃ男前だから! そのギャップがもうたまらん!」 「アリスは顔が整ってるから、何やらせても画面もちするよね。その点、カグヤはかなり化けたんじゃない? 散々、地味とか言われてたのに何あの色気。正直、負けたって思ったわ」 「「それな」」  文字を打っていた少年は手を止め、隣でしゃがみこんでいる青年に視線を注いだ。彼は大きな体を産まれたての子鹿のように震わせている。その背中めがけて少年が熱のない声を放つ。 「だって。よかったな、カグヤ」 「全然よくないですよう……」  青年はいまにも泣き出してしまいそうな声を返す。 「こんな大勢の前で、あんな映像流して、その俺達がこんなところにいるのバレたらどうするんですか……絶対、騒ぎになるじゃないですか……うっ、考えただけで胃が……もうユキさん待たないでスタジオ行きましょうよう……」 「へえ、すごい自信だな。バレたら大騒ぎになると思ってるのか。さすが、ファンの女の子に負けたって言わせた奴は違うな」 「そ、そうじゃなくて!!」  大声を張り上げた青年を、大勢の目が振り返る。  彼は、ひっと息を呑んで抱えていた膝に顔を伏せた。 「あの人、具合でも悪いのかな?」 「隣に友達っぽい人いるし、大丈夫じゃない?」  周りの会話が耳に届いて青年は慌てて立ち上がった。しゃがみこんでいる方が人目を引いてしまうことに気づいたのだ。  なんでもない風を装って少年と肩を並べるが、しかし、その顔はマスクで隠していてもわかるくらい蒼白だった。そちらを見ずに少年が言う。 「堂々としていろよ。ビクビクしている方が余計にあやしまれる」 「っす……」  少年は再び、文字を打ち始めた。ついでに、モニターの映像もカメラにおさめておく。 「はあ……ジャック様はなんでも着こなしてしまうわね……」 「わかります……きっと、着ぐるみのパジャマとかでもお似合いになるのでしょうね……」 「着ぐるみパジャマですって!? そんなの、そんなのっ……ウサギがいいわ、わたし!」 「わたしはオオカミですね」  上品な空気を醸し出していた女性二人組は、互いの気持ちを理解するや否や、喜びを分かち合うように抱き合った。彼女達の他にも抱き合ったり、固い握手を交わしている女性が多く見られる。皆、気持ちは同じようだ。 「あ~、次会えるのいつだろ~?」 「こないだのイベントのとき、わたし最前列で死ぬかと思った! オズくん、めっちゃこっち見ててさ!」 「やっぱり、ナマは最高よね……」 「初めて本人見た瞬間、生きてる……って思ったよね!」 「私の推し、なんであんなに顔がいいの? は? 好きだけど」 「うう、こんなの無理ぃ……カグヤさんがえろすぎて辛い……」 「わかる。あたしもシラユキのえろ気にいつもしんどくなってる」  様々な感想が喧噪の中を飛び交っている。もうとっくにPVは流れていないというのに、彼女達は信号が青に変わってもその場を動かず、モニターを見つめている。また流れるかもしれない、と期待をしているのだろう。いまかいまかと待ちわびる姿は、コンサート前の空気に似ている。  その光景をぼんやりと眺めていた青年がおもむろに口を開く。 「みんな、可愛いですね……」 「好みの女子でもいたか」 「違いますよ! あ、いや、そうじゃなくてっ」 「安心しろ。ちゃんと呟いておいたから」  少年はスマートフォンの画面を青年に見せた。それを確認した青年は、ぎょっとして思わず大声を出す。 「ちょっと! 何してんですか、あんた!?」 「すごい速さでハートが飛ぶな。さすがだね、カグヤ」 「そこじゃないっす! あんた、自分の影響力知ってます!? こんなっ場所が特定されるような写真載せて呟いたら、さすがにバレますって!」 「――――ンなでけー声で話してる方がバレるっつの」  冷静なツッコミと苛烈な一撃が背後から青年を襲い、彼は前につんのめった。少年はさっと避けたため、二人がぶつかることはなかったが、踏ん張れなかった青年はそのまま植え込みの方に顔を突っ込んだ。 「何するんすか、シラんぎゃっ」  声量を考えない青年の顔面を、あとから現れた目つきの悪い男が鷲掴みにして無理やり黙らせる。しかし、青年の方が身長が高いため、男は背伸びをする形になり、傍目から見ると少し笑える光景だった。 「そんなに自己主張してーのか? あ?」 「す、すいませんでした……」  青年が泣きながら謝罪する。その様子を見た人々が、何かトラブルかと怪訝な視線を注いでいる。 「二人とも目立ってるよ」  少年は静かに注意し、スマートフォンをポケットに突っ込んだ。飲み終わったタピオカミルクティーのカップを捨てようと、近くのゴミ箱へつま先を向けて歩き出す。  と、横からスマートフォンを操作しながら近づいてきた女と衝突してしまった。弾みで少年の手からカップが、女の手からスマートフォンが滑り落ちる。 「ごごごっ、ごめんなさい! わたし、よそ見してて……」  女は落ちたものを拾うよりも先に頭を下げた。そうすることが癖になっているのか、頭を下げたまま何度も謝っている。スーツを着ているところを見ると、仕事中なのだろう。スマートフォンを操作していたのも、仕事絡みかもしれない。休日の昼間だというのに、働き者である。  少年はカップと一緒に女のスマートフォンも拾ってやった。それを、いつまでも頭を上げない彼女へ渡してやる。 「はい。僕も人のことは言えないけど、ちゃんと周り見て歩いた方がいいよ」 「は、はい……本当にご迷惑をおかけしま……」  そこで彼女は初めて顔を上げた。  少年を見て息を止め、ついで口を大きく開ける。 「っあ……アリ――――」  少年は人差し指を唇の前で交差し、しー、と彼女に伝えた。女は慌てて両手で口を覆い、漏れそうになった叫びを飲み込む。 「お仕事、頑張ってね」  微笑んで少年はゴミ箱にカップを捨て、先程の二人と合流した。二人に集まっていた視線は、また流れ始めたCUENTO(クエント)の新曲PVへと移っており、誰も彼らの姿など見ていない。彼らが後ろを通っても、間を縫っても、ファンと思しき女性達はモニターの方に集中している。  赤だった信号が青になり、また人の群れが動き出す。それらと一緒に彼らも人混みの中へと消えていく。 「……まぼろしぃ?」  呆然と彼らの姿を目で追いかけていた女は、少年が拾ってくれたスマートフォンを握りしめて、へなへなとその場に座り込んだ。
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