07◆ 仲直り

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07◆ 仲直り

 すでにカウンターで待っていた光太郎の隣に陣取り、ジョッキの中生を半分ほど飲んだところで、ニットキャップをかぶった圭吾が入ってきた。  圭吾は私が一人でいると思い込んでいたためか、はじめは呆然とこちらを眺めていたが、隣にいるのが光太郎だと気付いた途端、「どゆこと?」と呟いて立ち竦んでしまった。その声で光太郎も事態に気付いたらしく、「げ」と小さな驚きを発して齧り付いていた手羽先を皿の上に放り投げた。 「何だよ、何で羽根田さんがいんだよ」 「私が呼んだの、一緒に飲も」 「冗談じゃねえ、俺は帰る」 「ちょーい、待った」  椅子から降りようとする光太郎を無理やり座り直らせ、私は圭吾に光太郎とは反対の隣の椅子を手で示した。 「座って、ここ」 「でも」 「いーから、座る」  圭吾は状況がわからず戸惑っていたようだが、私に強引に指令を出されて大人しく椅子に腰掛けた。反目しあう男二人に挟まれて、空気のピリピリ感は最高潮だが、私は気にせず圭吾にウーロン茶を頼み、ジョッキを目の高さに持ち上げた。 「かんぱーい、ほら、あんたたちも」 「ばっかじゃね」  光太郎が吐き捨てるように言って、そっぽを向く。私はその耳たぶを引っ張って、顔をこちらに向けさせた。 「いででで、何しやがる!」 「あんたら、そうやってずーっとケンカしたまんま?昔は同じ高校で、一緒にバスケした仲じゃないよ」 「そんなの、ガキの頃の話だろ。それから色々あったから、こうなったんだろうがよ」  耳をさすりつつ光太郎がわめくのを、圭吾は黙って聞いている。恰好つけで有名だった彼の帽子の下が坊主頭だとわかったら、光太郎はどんなリアクションをするだろう。私は語気を強くして、半ギレの光太郎に向かい合った。 「だから、その色々をリセットしようって言ってるの。あんた誤解してるみたいだから言っとくけど、うちらまたこうやって連絡取り合うようになったのって、私の方から圭吾に会いに行ったからだよ」  そう言われて光太郎が黙りこむ。その機を逃さず、私は圭吾と再び会うようになった経緯を説明した。そして圭吾にも、騙したみたいになって悪かったが、彼にも責任はあるのだから今日は黙って付き合えと言った。 「それよか、勝手に殴りあいして心配させたんだから、あんたたち、私のいる前で仲直りして見せなさいよね」 「えー」 「えーじゃないよ、私がどんなに悩んだか知らないでしょ、私の事が原因で、あんな……あんな」  ケンカなんてして、と言おうとして迂闊にも胸が詰まってしまった。自分で思っていた以上に、あの件に関しては心に重いものがあったらしい。  おしぼりで目元を押さえたら三日月形に黒いものが滲んだ。しまった、片目だけアイラインが取れてしまった。冬でもウォータープルーフにすべきだと、おしぼりを睨みつつこの場に関係ない事を考えていると 「射手矢」  私の目の前を圭吾の細長い手が通り過ぎた。何だ、と思ってその手の先を見ると、光太郎に向かって差し出されている。握手を求めているのだ。先輩から、しかもケンカの際には先に殴られた方である。  いくらその原因が圭吾の浮気だと言っても、ここまで先手で歩み寄られては光太郎も拒みにくいようで、やがて手羽先で油まみれになった手を拭うと、おずおずと目の前の手を取った。  おお、これは感動シーンかと思ったその瞬間、がしっと音が出るような力で圭吾が光太郎の手を握り締めた。確か現役時代、圭吾の右の握力は60㎏近かった記憶がある。光太郎の顔が紅潮している所を見ると、奴も痛みに耐えながら握力を振り絞っているようだが、筋力で圭吾に敵うはずがない。  そのうち光太郎の顔が耳まで赤くなった所で、ようやく圭吾は手の力を緩めて、再び「射手矢」と呼びかけた。 「俺は確かに、しょうもない男だったと思う。だけど、これから頑張って酒屋をやっていく。千夏子にも、お前にも認められるような、まっとうな人間になる」  そう言うと圭吾はニットキャップを脱いだ。先日よりいくらか伸びたとはいえ、強面の圭吾の坊主頭はインパクト大だ。光太郎は面食らったような顔で圭吾の頭を見ていたが、そのうち無言で席を立ってトイレに行ってしまった。 「今ので、手打ち?」 「そう、手打ち」  そうか、あれで済んでしまったのか。男のルールはよくわからないが、もともとこの二人は、相性が悪いわけではないんだろう。そう思いつつ小鉢の肝煮をつついていると、 「もしかして、彼氏って射手矢じゃねえよな」 「まさか!」  ふいに聞かれてドキッとした。私が予防線のつもりで吐いた「彼氏がいる」という嘘を、圭吾はずっと気にしていたのだろうか。もしもそうなら、今日こんな形で二人を会わせたのは無神経だったと思う。私と光太郎が並んで焼鳥を食べているのを見た時の表情には、驚き以外の感情も含まれていた。つくづく慣れない嘘は吐くもんじゃないと反省した。  その時、タイミングよく光太郎が帰ってきたので、私はこれ幸いと入れ違いに席を立ちトイレへ向かった。私がハゲたアイラインを修正している間、奴らが再び険悪なムードになっていなければいいが。いや、片方が光太郎なら会話など成立しない可能性が高い。黙々と焼き鳥を頬張る野郎二人の背中を想像して、私は思わず噴きだしてしまった。  その後、私たちは焼き鳥を山ほど注文して水炊きも食べて、下戸の圭吾以外はほろ酔いで店を出た。もちろん手打ちをしたのだから、勘定は男二人で折半だ。私は「ゴチ!」と二人に手を合わせ、彼らの真ん中に立って駅へと向かった。  冷たい空気が火照った頬を心地よく撫でる。こんなメンツで飲む日が来るなど、思いもしなかった。案外悪くない気分だ。それどころか、目の前から靄が晴れたように清々しくもある。そのせいか、全部カタがついてから事後報告しようと思っていた転職の話が、気がつけば口から飛び出していた。 「あのさあ、私、会社やめることにした」  男二人の歩みが止まる。私の生活は仕事を軸に回っていると思っていたはずなので、さぞやびっくりしたのだろう。やがて圭吾が私の表情を覗き込むように、「なんで?」と突然の退社の理由を訊ねた。 「自分の本当にやりたい事が見えてきたから」  自分にとってはそれが全てなのだが、それだけでは他人には漠然と聞こえると思ったので、私はさらに付け足した。 「今の仕事が嫌だとか、そういうんじゃないんだけど、思ってた自分とは違う方向に、どんどん進んでる気がして。仕切り直すなら早い方がいいかなって思った」  圭吾も光太郎も、しばらくその意味を噛みしめていたようだが、そのうち私の真意がわかったのだろう。それぞれに励ましの言葉を投げかけてくれた。 「じゃあ、頑張れ」 「千夏子らしいよな」  私は「うん」と頷くと、再び駅への道を歩き出した。こうして三人で並んで歩いていると、まるで人生のスタートラインに立っているような気がしてくる。 「来年はみんな一緒に、よーい、ドンだね」  私の声に、一人が眉毛を上げ、一人がだらりと下げた。来年の今ごろは、みんなどんな風景の中を走っているのか。きっと私は年末が来るたびに今夜のことを思い出し、翌年も頑張る力を奮い立たせるに違いない。
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