2◆ 小牧台3号公園の美少年

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2◆ 小牧台3号公園の美少年

 私の暮らしている町はいわゆる新興住宅地で、名称は「小牧台」。最寄り駅の名前も同じだ。山の斜面を切り開いた分譲地に何十棟かの中層マンション、そして大きさも間取りも似たお手頃価格の建売住宅が建ち並び、上空から見ればそれは、まるでひとつのコロニーを形成しているようにも見える。  私たち一家がここへ来た当時はまだ入居者は半分くらいで、専業主婦だった母親は、毎日のように私を家から一番近い「小牧台3号公園」へと連れ出した。  私はほどなく小牧台幼稚園に入園する予定になっていて、そうなると母は昼間、赤ん坊の弟と二人きりになる。彼女はきっと子育て仲間が欲しかったのだろう。やがてめでたく同い年の子を持つ近所の奥さまをつかまえた。名前を射手矢(いでや)さんという。 「よかったねー、チカちゃん。お友だちができて」  申し遅れたが、私の名前は佐藤千夏子である。想像に難くなく、生まれは夏だ。千年でも長生きするようにと祖母が命名したらしい。響きだけは気に入っているが、できればもっと現代風の名前が良かった。 「光太郎くんも、同じ幼稚園に行くんだって」  そう言われて私は、ここしばらくの遊び相手をチラリと見やった。3号公園の砂場を黙々と掘っている、大人しくてちっちゃい男の子。これが今思えば、その後のお互いの人生に多大な影響をもたらすことになる射手矢光太郎で、その頃の光太郎は誰が見ても「女の子?」と思えるほど、それはキュートなルックスだった。 「チカちゃん、光太郎がやられてたら助けてあげてね」  一方、おばちゃんにそう言われる私は、骨太で背も高い。弟がいるせいか、姉二人末っ子の光太郎に比べ、親分肌の子供だったように思う。実際、お砂場グッズを取られて泣いている光太郎を、二度ほど窮地から救った事がある。  そんな光太郎と私は母親たちの親交が深まるのとシンクロして、まるで親戚同士のように育っていった。彼の姉である紗江ちゃんと由佳里ちゃんも、実の妹のように私を可愛がってくれたし、うちの弟も光太郎を兄代わりに大きくなった。  だから、奴が突然「俺に話しかけるな」などと言いだした時は、平和ボケした私の脳みそはその真意をはかりきれずにフリーズしてしまった。 「え、何でだめなの」 「だから、学校限定で。家では今まで通りでいいけど」 「何それ、わけわからん」 「からかわれるだろ、いちいち言い訳すんのウザいんだよ」  そのとき私は光太郎の家のソファで漫画を読んでいて、光太郎は私に背を向けてゲームをしていた。ゴールデンウィーク前の日曜日、おチビの頃から延々と繰り返したいつもの光景が、そう言われた途端になんだか違って見える。  私たち幼稚園の仲良しコンビは、当然のように小牧台小学校、小牧台中学校と同窓で、選択肢が少ない土地柄という事もあったものの、偶然に高校も同じ県立の進学校に進むことになった。しかも入学してみればクラスまで一緒だ。ここまで来ると、もはや腐れ縁としか言いようがない。それなのに。 「もしかして、付き合ってんの、とか言われるから?」 「わかってんなら、学校で喋りかけんなよ」 「モテたいんだ」 「そんなんじゃねぇ」  光太郎の家は、間取りがうちとよく似ている。同じ建設会社の建売住宅で、販売区画は2ブロック東側。とは言っても歩いて1分で、光太郎の家の方が納戸のぶんだけ一部屋多い。私はペットボトルの紅茶を飲みながら、さっきまでの冗談モードをやめて、ちょっと真面目に矛先を向けてみた。 「ねえ、誰かに何か言われた?」 「ってわけじゃないけど」 「私、言われたよ、この間」 「は?」  幼稚園から小学校低学年までは、それこそ毎日べったり一緒に遊んでいた私たちも、男女の区別がついてくるころから、それぞれ同性の友人と遊ぶ事が多くなった。特に中学に入ってからは、部活が分かれた事もあって殆ど二人で行動する事はなくなり、今ではせいぜい家同士でバーベキューをする程度だ。  それでも、やはり他の男の友人よりは学校でもいっぱい喋るし、学校から帰れば互いの家を我が物顔に行き来する生活が続いていたわけで、詮索好きな友人の中には、二人の関係を面白がって噂する連中がいるのもまた事実だ。  そんな私に災難がやってきたのは、入学式から半月ほど過ぎたころだった。
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