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「は?」
死んでいる部屋、フユシマは私の左手を取った。
「でも、指輪」
「これね、自分で買ったの」
私はフユシマにほんとうのことを言った。
「あんな安いクラブで飲んでたの、酔っ払ってとっととホテル行きたかったから。時間がなかったのよ。奥さんいるから、あの人。ほんものの、奥さんね。私が、不倫相手なの」
「え?」
フユシマは不安げに、眉間にしわを寄せた。
「あんたの旦那のこと、スキだから、俺、あんたとこうして……」
フユシマはもう一度、大きく息を吐いた。やがて、事態を理解したのか、徐々に、フユシマは、目をまんまるにする。
「つまり、あのひと、旦那じゃないの?」
私は出来るだけ口の中をあっさりさせながら、答えた。
「旦那じゃないよ、出会い系で会っただけ。だって私、結婚してる人が羨ましくて。浅はかでしょ。結婚してる人、奪った気で、いつも満足してる。」
私はフユシマの脳みそのぐるぐる加減を確かめながら、再び、ほんとうのことを口にする。
「私、フユシマのそばにいたいなって思ったの」
「な、なに。意味わかんない」
得体の知れぬいきものを見る目で、フユシマは私を見た。既視感のある目の色。私は思わず、フユシマの胸に耳を当てた。
「なにしてんの」
「フユシマ、いま、良い音しているよ」
フユシマの心臓は、ちくたくとせわしなく動いていた。
「あんた、マジできもいな」
フユシマは、私の肩をつかんで、突き放した。その衝撃で、私はしりもちをつく。
「じゃあ、あんた、俺と関係を持ちたいから、あの男の人と結婚しているって嘘ついて、いままで、騙してたんだな?」
「うん。そうだよ。私、どんな手を使っても、フユシマに近づきたかった。」
「マジで、ありえない。汚いよ、あんた」
私を罵るフユシマの語気に、私は身体がしびれた。
いままでで、一番いいところまで、フユシマに近づけている気がした。
乗せられるように、舌が動く。
「フユシマも、人のこと言えないでしょ。女なのに、男のふりして。掲示板で、男のふりして、女の子とエッチなメールしてんじゃん。女に興味ないくせにさ。ひとの心、弄んでんでしょ?」
私が言うと、フユシマはぴたりと動きを止めた。
「フユシマは、どうしてあのクラブにいたの? さびしかったからでしょ? 渋谷の真ん中のこの部屋で、むなしくなったんでしょ?」
「そ、そんなわけ」
「ねえ、ネイルを落としたのはどうして?」
私は立ち上がり、フユシマの手を握った。
「朝、落とすでしょ。除光液でさ、赤いネイル。いつも、爪のふちに、残ってるよ。フユシマ、ほんとは女の子でいたいの?」
「ちがう、仕事で。仕事で、女になるだけ」
白黒する瞳に、垂れた眉。フユシマの、あわてようが、私のこころに、やけに、響く。
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