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「だって、俺は、自分の身体が、きらいなんだよ。でも、女の方が稼げるだろ。女じゃなきゃ、価値がないんだよ。女でいたほうが、いいのは、わかるんだ」
私は知っている。ぐちゃぐちゃの洗濯物の中に、背中の大きく開いた花柄のワンピースがあることや、洗面台の無造作の奥の扉に、それなりの値段のする化粧道具が揃っていることを。
「フユシマ、どうしたって、呪いはとけないよ」
私が何気なく言った一言が、フユシマの脳みそを、うっかり掻き回してしまったらしい。
フユシマは、靴も履かずに、玄関に飛び出した。まるで、部屋のなかの猛毒が、肺に広がったかのように。
「フユシマ」
私が慌てて追いかけると、フユシマが、乱れた顔のままで、道路飛び出したのが見えた。
炎天下の駅前通り。フユシマのアパートは大通りに面している。たくさんの信号に、黒いタクシーに、隙間の無いバス。人、人、人。
「私、知ってた。最初から知ってたよ、フユシマが女の子だってこと」
人のにおいの混沌の中、かまわずに叫ぶと、ステテコを履いたフユシマは足を止めて、道の真ん中で撃たれたように倒れた。
とたんに、フユシマに視線の矢がささる。平日昼間スーツ姿、汗をかいた人々の不安げな表情。
私はうつぶせに倒れてしまったフユシマに駆け寄った。
「私、フユシマに近付きたくて、嘘ついたの。あの人が、私にとって近い人だってなれば、フユシマに会える口実になると思ったから。ね、ずるいでしょ。私、フユシマに愛されるわけないってわかってたのに、どうしても、フユシマに、会いたかったの」
転がして、フユシマを横向きに起こす。鼻の頭に、コンクリートのダークグレーの小石がくっついている。私はそれを手ではらいのけた。
フユシマの目が、天を嫌っている。かなしそうだ。
私に、人の目に、猛暑に、なにより、人生に、絶望している。
どうしようもないことに、そんなフユシマのまっすぐな目が、私は、好きだ。
「フユシマの、雑踏に溶け込めない、なにか、なにかがどうしても硬くて、邪魔で引っかかってしまうとこ、そういう、自分を曲げないとこ、私、好きだったから」
背中に高温ビームのような日差しが刺さり、私は、身体が溶けそうだった。
「私は、いっつも、すぐひとに嫉妬して、かき乱したくて、頭ごなしに、人の輪に突っ込むことしかできない。汚い人間なの。だけど、フユシマは、道を外れても、一途で、ほんと、かわいくて」
フユシマのうなだれた首筋に、汗が一筋、垂れる。
「同情なんかしないで、おねがい」
フユシマは高い太陽に向かってつぶやいた。
「同情なんかじゃないよ。フユシマ、私は」
「言わないで。おねがい」
フユシマは炎天下の中、背中をコンクリートに預けて、地面に転がった。
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