ハウスキーパー見習い・まよ

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「ごめんください……」 少しガタつく引き戸を恐る恐る開けると、そこに犬がいた。 今まで動物を飼ったことがないし、特に興味もないのでよく分からないが、このシワだらけの特徴的な顔は、確か「フレンチブルドッグ」という犬種ではなかったか。 犬は、突然の闖入者を明らかに警戒しており、さっきから「フッフッ」と鼻を鳴らしながら、軽快なフットワークで左右にステップを踏んでいる。 まよは別に犬を苦手としているわけではないが、さすがにちょっと入りづらい雰囲気だ。 どうしたものかと悩んでいると、奥から「面接の人~?」というハスキーな声が聞こえて、70歳ぐらいに見えるおばあさんがのそりと姿を現した。 「あんた、きのう電話くれた人? 面接志望の?」 「はい、そうです……あのう……」 そう答えておずおずと犬を指さして見せると、おばあさんは身に付けていた割烹着からなにやら袋を取り出し、中からクッキーのようなものを出して「ほい」と犬に食べさせた。 尻尾が短い犬は尻尾を振って見せるかわりにぷりっとしたお尻をぶるんぶるんと振り、全身で「おいしい!」と表現している。 そのユーモラスな様子に思わず相好を崩すと、おばあさんがニヤッと笑って言った。 「うちの看板犬のブルちゃん。かわいいだろう?」 ずっと威嚇されていたこともあり、正直あまりかわいいとは思えなかったが、雇い主になるかもしれない人の飼い犬なのでそこは無難に「はい、とっても」と答えておく。 「ブルちゃんはね、大阪に嫁いだ娘の家で生まれた子なんだぁ。去年もらってきて、こうやって大切に育ててんの」 目尻を思いっきり下げてブルちゃんをなでるおばあさんは、とっても幸せそうだった。 きのうの電話の感じでは少し怖そうな人かと思っていたが、意外と温厚そうな人物でほっとする。 しばらくブルちゃんと楽しく戯れた後で、おばあさんはよいしょと言いながら立ち上がって腰を伸ばし、「とりあえずそこに座って」と奥の小上がりを指さした。 「今、お茶いれるから」 「えっ、そんな、おかまいなく」 「そんな固くならなくてもいいよ。うちは見ての通りこんなちっちゃい家政婦紹介所だし、もっと気楽にしておくれよ」 家政婦紹介所という言葉の響きになにやら新鮮なものを感じつつ、まよはありがたく出されたお茶をすすらせてもらうことにした。 「あ、おいしい」 思わず感想が口をついて出る。 どこかに出かけた時にこうしてお茶を出されることはよくあるが、こんなにおいしい緑茶は今まで飲んだことがない。 そんなまよの様子に気をよくしたおばあさんは、「せんべいも食べるかい?」と菓子鉢に盛られたせんべいをすすめてくれた。 「ありがとうございます。いただきます」 さっき気楽にしてくれと言われたばかりなので、へたに遠慮するのもかえって失礼かと思い、まよは恐縮しつつ一枚を手にとった。 バリバリと噛み砕いていると、おばあさんが湯飲みを置き、先ほどまよが渡した履歴書に目を通し始めた。 「えぇと、老眼鏡……あった、あった。なになに、ほう。高校を出てからずっと一つの会社でお勤めしてたんだね。根性あるね。なんでそこを辞めたの?」 覚悟はしていたが、やはり話さなくてはならないのか……と少し緊張した。 コミュ力が壊滅的なせいで前の職場をクビになったなんて言ったら、さすがに印象が悪いのではないか。 しかし、こうして面接で聞かれている以上、ありのままの事実を話すしかない。 要領のいい人ならなにか適当に事実をでっちあげることもできるのだろうが、あいにくまよはそのような器用さは持ち合わせていなかった。 言いにくそうにつっかえながら打ち明けたまよに、おばあさんは「そう。大変だったね」とあたたかい言葉をかけてくれた。 「そういう話たまに聞くけどさ。少しぐらいおしゃべりが苦手でも、まじめにコツコツ仕事してくれる人のほうがあたしは信用できるけどね。今時の子はコミュ力? っていうのが高いけど、心にもないことをペラペラしゃべってわっと盛り上がって、腹の中じゃ何考えてるのか分からないから怖いよ」 「でも、社会ではそういう人のほうが求められるんですよね……」 「それはほら、場所によりけりなんじゃない? 現にあたしはあんたのことけっこう気に入ったし。いつから来れる?」 「えっ」 「うちで働いたらいいよ。他にも従業員が何人かいるけど、みんな気のいい子ばかりだから心配いらない」 「あ、ありがとうございます。頑張ります!!!」 「ははっ。まぁ、のんびりとね、のんびりと」 トントン拍子に決まってしまい、なにやら夢の中にいるような不思議な気持ちになる。 少しぽーっとしていると、テーブルの周りでおもちゃを噛んで遊んでいたブルんがとことこと近寄ってきて、私の腕にぽふんとあごを乗せた。 ふんわりと暖かい感触に、思わず頬が緩む。 「なぁに、ブルちゃん?」 「ブルちゃんはね、気に入った人間には必ずそうやって甘えるのさ。あんた、どうやらブルちゃんのお眼鏡にかなったようだよ」 ブルちゃんは、おばあさんの言葉に賛同するように「ブヒッ!」と鼻を鳴らした。 その拍子に鼻水がバシュッと飛んできたけれど、採用された嬉しさとブルちゃんの愛らしさでそれも気にならなかった。
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